中野純日記
1970-2004

2004年3月17日(水)

 まいまいず井戸を見に、羽村駅前へ。近くの六地蔵の中にひとり、ロック地蔵がいた。

六地蔵のロック地蔵
ロック地蔵

2004年1月30日(金)

 「日本の闇々」の取材で、南房総へ。竹岡の黄金井戸と呼ばれる海蝕洞で、金色に光るヒカリモをこってり見たあと、洞穴手前右の階段を登り、祠の前で見下ろす。同行の編集者、前田さんが「向こうの屋根の上にいる猫3匹は生きているか」と問う。遠くてよくわからないが、私は「生きている」と主張。双眼鏡を取り出して見てみて、2人とも愕然とした。生きているかどうかの問題ではなく、猫でも猫形でもなんでもない、単なる重しではないか。土嚢が3袋、屋根に載っているだけだ。猫だということを当然の前提として勝負していたのに。
 土嚢は生きている。そう考えざるをえない。

2003年8月30日(土)

 親子3人で五日市のヨルイチへ。ぶらぶらしていたら、0歳の娘ズッキーが、ある店の蔵の前で突如「ゆかた姿すてき賞」を受賞した! しかもズッキーは、ゆかたを着ていない! 小説を書いていないのに芥川賞を受賞するような、たいへんな快挙ではないか。すでに人生のピークなのか。だとしたら、あとはずっと下りで楽だけど、膝に来る。

2003年8月25日(月)

 後書きを先に書いた。

2003年8月14日(木)

 女ま館の軒下にクモが見事な×を描いた。クモの巣の上に刺繍したような感じで、大きく太くクッキリと×印ができている。
 クモの巣に虫が掛かってもがいているのを見るとかわいそうだと思うし、クモのイメージはどうしても悪くなる。だが、こうやって×を描いて『ここはダメ、危ないよ』とクモ自身がご丁寧に警告してあげているのに、それでもこのクモの巣に掛かったとしたら、どう考えても掛かった虫のミスで、クモはなんにも悪くない。だから食べられてもしょうがないや。と思わせるための、クモ一流の作戦だ。
 クモだって結構気を遣っているし、好感度をアップしたいと本気で思っている説。

クモとバツ
×

2003年6月17日(火)

 昨日から2泊3日で河口湖。
 朝、ホテルの大浴場に入るが、小さい。ミニミニ大浴場だ。
 結局大きいのか小さいのか、それが問題だ。
 鎌倉で売っていた大仏入りの御守を思い出す。ミニミニ大仏だ。
 結局大きいのか小さいのか、それが問題だ。
 河口湖中原淳一美術館、河口湖新倉掘抜史跡館などへ行く。

2003年5月28日(水)

 0歳の娘が、また夜笑いしている。夜泣きでなく。
 夜中に起きて笑うのだ。

2003年5月21日(水)

 目白駅から雑司が谷霊園へ。角石の墓が林立する園内から見たサンシャイン60は「うわー、こりゃいったい何家の墓だー」って感じで、墓石の怪物だ。宇宙からやって来た巨大墓だ。ものすごい借景だ。

墓石のボスキャラ、サンシャイン
墓石の親分

2003年5月8日(木)

 向島へ。牛だらけの牛嶋神社に、ヘタな牛を一頭発見。ものすごい低姿勢で愛想笑いしていた。

笑い牛
ヘタ牛

2003年5月4日(日)

 昨夕と今夕、2夕連続で天狗岩へ「地球照と逢魔が時を堪能するトワイライトハイク」。昨夕は参加者14名、今夕は13名。日暮れ後、雲間に約三日月が登場。その後、都合よく月のまわりがよく晴れる。下界は霞んでいて、青梅の夜景の光が適度にソフトになっていい感じ。おぼろ月ならぬ、おぼろ夜景だ。
 地球照が双眼鏡でよく見え、肉眼でもなんとなく見える。太陽の光を受けて明るく輝く三日月部分(いわば太陽照)は月面の昼間の部分で、その他の暗い部分(地球照)は月面の夜の部分。地球照は、地球が照らす月面の夜の景色、月の夜景だ。
 だんだん地球照がはっきりしてきて、「闇ウサギが見える」と言ったらウケた。7日に水星が日面通過して、太陽をバックに黒い水星が見える話もした。これは闇水星。水星の闇夜、水星の夜景が見える。

2003年4月13日(日)

 「日本の闇々」の取材で、昨日から富山。たぶん積雪対応で台座が高い墓たちが、泥の海(田んぼ)に並ぶ光景は、ちょっと蜃気楼みたいだ。廃屋を覗いてみたら、風呂場に、ゆ、幽霊が! ひー。しかも、頭の上に毛が3本。

死者たちの摩天楼群
高墓群

心霊写真の撮影に成功
廃屋にお化けが

2003年1月18日(土)

 天竺山、横沢入へ、真冬のムーンライトハイク。きりんかんの杉村夫妻らが車で我々を追いかけ、天竺山の頂上で合流。結局、参加者は28名になった。
 武蔵五日市駅で解散後、杉村夫妻らと一緒に女ま館・きりんかん方面へ歩く。杉村夫妻は、林道の峠に車を置いてあるので、林道入口で別れる。
「お疲れさまでした」と言いながら、闇の山へ消えていく夫妻。すごい光景だ……。彼らが人間の夫婦に見えない。

2003年1月13日(月)

 朝食後、再び入水鍾乳洞へ。今日は感じの悪いおっさんでなく、感じのいいおじいさんがいる。
 そば屋で昼食後、鬼穴へ。その後、あぶくま洞前で休憩。
 あぶくま洞駐車場のトイレに行ったら、自動ドアだった。こんな用で入ったのに、向こうからドアを開けてもらえるなんてなんだか恐縮、という気分。サッと開いたドアに思わず「あ、わざわざどうもすみません」と言いそうになる。しかも便器の前に立った途端、パンツのジッパーが自動的にサッと開いたらどうしよう、とドキドキする。

うねる誘導灯がカッコいい入水鍾乳洞Bコース
入水鍾乳洞

2003年1月12日(日)

 朝の武蔵野線が空き過ぎで、寒い。
 こんなことでは「冬の満員電車の本質は、おしくらまんじゅうだ」と思わざるをえない。だから押されて泣くな。
 「日本の闇々」の取材で、あぶくま洞、入水鍾乳洞へ。
 あぶくま洞の前には、石灰岩採掘跡の白い大岩壁をバックに、かわいいツートーン観覧車がある。色合いもいいし、大岩壁の迫力と観覧車のかわいさの対比もいい。
 入水鍾乳洞の前では、チケット売場のおっさんが、驚くほど感じが悪い。入水鍾乳洞内の石筍を地蔵に見立てた地蔵洞は、赤い前掛けがボロボロになり、染料が石筍に付いて血まみれみたいで、凄惨なことになっている。好きだ。
 夕食後、船引町へお人形様たちを見に行く。お人形様がなんなのか知らないまま行ってみたら、大木が鬼になったような、巨大な境神だった。ドレッドっぽい杉の髪がいい。途中、同行の編集者・前田さんが地元の女子に道を訊いたら、親切に道を教えてくれたが、「でもかなり恐いですよ……」と真顔で忠告されたという。この境神の力は、まだそれなりに生きている。
 星の村ふれあい館に泊まる。

スキンヘッドのボディペインティング
地蔵洞

ドレッドヘアのキーパー
屋形のお人形様

2002年12月21日(土)

 雨の沼袋へ。沼袋駅の改札を出ると真ん前に、いい感じの公衆便所。コンクリート打ちっ放しのシンプルな外壁と、モザイクタイル絵のデコラティブな内壁のギャップがいい。裏返しっぽいというか、派手な内部がチラッと見えるのが、長襦袢っぽいというか。便意を催さざるを得ない。
 沼袋商店街から百観音明治寺へ行くと、異様に堅固なすべり台があった。鐘楼の台(基壇)を再利用して盛りコンし、すべり台にしたようだ。発音するときは「すべり」でなく「台」のほうにアクセントをつけるといいと思う。

昼下がりの便意
沼袋駅前便所

難攻不落っぽい
明治寺すべり台

2002年11月14日(木)

 トーカンヤのムーンライトハイク。武蔵五日市駅から天竺山を経て、横沢入へ。参加者は9名。
 落葉広葉樹の紅葉した葉が風に揺れる音はカサカサ。常緑針葉樹のサワサワと全然違っておもしろい。夜山では聴覚が敏感になるから、そういうことに気づきやすい。
 参加者のひとりが、月夜に風景が青く見えることに驚いている。結構知らないものなのか。別のひとりが「やっぱり東京の空は明るくて、星が見えない」と言う。薄曇りだから星が見えないだけですがな。女子が「月は昼間にも見えるの?」と訊いてきた。見えますがな! がるるるー。
 ずっと薄月で、月遊びを満喫できるだけの月光量がなかったのが残念。23時過ぎに武蔵五日市駅で解散後、中里和人さんと駅前でダベってからチャリで帰る。心臓破りの小机坂を登っているとき、石垣の上を逃げていく動物を目撃。たぶんノウサギだ! 名月の夜にノウサギ。満開の梅の枝にウグイスを見たような気分だ。今夜のクライマックスはひとりになってからだったか。

2002年11月4日(月)

 NHKニュース7を見てたら、最後に畠山アナウンサーが「では、こんな格好で失礼します」と言ったのでドキッとしたが、「では、今夜はこれで失礼します」の聞き間違いだった。いろんなことがあるもんだ。

2002年10月28日(月)

 朝、出かける直前に、汲み取り式便所にケータイを落とす。ケータイはそのままにして福島・小名浜へ。
 今ごろ、トイレの底の闇で、ケータイがウンコにまみれながら鳴ってるかも、と思うと、物悲しい。
 電話をかけた人も、まさか自分がウンコの中に向けて発信しているとは思うまい。
 ケータイを放置したまま、外泊。

2002年9月20日(金)

 なんかもう寒い。

2002年9月17日(火)

 昨日、『コンフォルト』の連載「日本の闇々」の蛾狩り取材で、中里和人さんらと増富温泉へ。今日も蛾狩りの復習で増富近辺を巡る。そしたら、妙な石祠があちこちにある。人面疽としか言いようのない顔が浮かんでたり、猿だろうけど胎児にしか見えないものが浮かんでたり、ややムーミン状のものが赤ら顔で出っ張ってたり、顔がグーーーンと前に伸びてきて恐ろしく後頭部の長い人になっちゃったとしか見えない棟があったり(こういう後頭部を「超頭部」と呼ぶことにした)、とにかくすごい。神社の石灯籠はぞんざいに大事にされて一ツ目の妖怪みたいになり、ガタガタの石段や段違いスリットの入った石祠も味わい深く、庚申塔も凛々しく、月待塔も目に付き、石祠に丸石も祀ってあったりして、石造物が印象的な地域だった。そういえば、この地域を見守る瑞牆山も、巨大な石造物のような山だ。
 韮崎方面へもどる途中、相合い傘ならぬ相合い屋根の蔵を見かけた。蔵の前が広々と空いていて、雨がなんとなく川になって、なんだか中国っぽい風景。

石祠に人面疽が
人面疽鬼瓦

庚申塔がモアイのように遠い目をする
庚申塔

妖怪みたいな現役石ガムテ障子紙灯籠
石灯籠

秋桜に包まれたバス停を激写する中里さん
バス停対中里さん

石祠に胎児が
石祠胎児

石祠に超長い頭が
石祠超頭部

相合い屋根
ひとつ屋根の下で

2002年9月15日(日)

 昨日、今日と、地元の白山神社の例大祭。
 夜、暗い通りを神輿や花万灯が行く。にぎやかに、しかしひっそりと行く。至近距離で見ればにぎやかだが、ほんのちょっと離れて見ると、祭りのにぎわいが逆に周りの闇を際立たせる。そう、祭りというのは、闇を際立たせるためにあるのだ。ゾクゾクしてくる。すごくゾクゾクしてくる。暗闇祭の雰囲気を感じさせる。健全に寂しい。オーディエンスがほとんどいない。集まっているのは、私を含め、祭りをつくっている人たちだ。ああ、村祭りだ。これが村祭りだ。

暗い
暗い祭

花万灯が枝垂れ桜の妖怪みたい
妖怪花万灯

2002年8月27日(火)

 幸神から小机へひとりでチャリんぽ(チャリで散歩)。いいところだったので、帰宅後すぐに大井と出直す。今度は徒歩。

引き戸の上の二股模様がかわいい
幸神住宅

煙突茸
巨大茸群

すべらなそう台とのっぽぶらんこ
児童遊園

小机ジャンクション
徒歩JCTマ

顔だけかかし、大きな×で立ちはだかる
×畑

幸せなマンホール
花園マンホール

扉がちょっとだけ開いててドキドキする
ちょい開き

保護色の鳥居
緑鳥居

 たいへん疲れ、帰宅後、寝てしまう。

2002年8月26日(月)

 青梅市西分町の旧織物工場で開催している「中里和人展 青梅幻視画館」の関連イベントとして、月待ミニナイトハイクを行う。参加者はスタッフ、私を入れて29人。西分神社の暗い暗い鎮守の森を抜けると、勝沼のピカピカの新興住宅地が唐突に出現する展開が、私のお気に入り。そしてまたすぐに、真っ暗に見える青梅丘陵ハイキングコースに突入する。
 金比羅神社に到着し、月待や闇歩きの話をしながら、月を待つ。闇に目が慣れてしまってたるんできたところで、自分の目に向かって懐中電灯を照射し光の目潰しを食らわせて、再び厳しい闇をつくる、という闇技を見せたりする。そういえば私は、こういう、自分自身への嫌がらせが大好きだ。……そうでもないか。
 あいにくの曇り空。月の出時刻からだいぶたち、完全に諦めていたところ、向こうで月発見の声。オレンジの月が、流れる雲のせいでさまざまに形を変えながら、どれくらいだろう、10分くらいか、姿を見せて、また完全に雲に呑まれた。
 旧織物工場にもどって、最後に闇の青梅幻視画館探検をする。入口で懐中電灯自己照射を楽しむ女子。人数が多すぎるので、2〜3人ずつが懐中電灯を1個だけ持って時間差で入ることにする。思ったとおり、懐中電灯で照らしながら改めて展示作品を見ると、照らされた細部をよく見るので、新しい発見があった。
 ミニナイトハイクのあと、青梅駅の近くの飲み屋で打ち上げ。0時前に店を出たあと、中里さんと自販機でお茶を買って休憩する。2人で駐車場に座って話していたら、その後全然見えなかった月が、またちょっとだけ現れ、消えていった。
 目の前の細い道を、消防車が静かに通る。音は静かだが赤い光は派手で、消防士が車の両側にじっと貼り付いている。特に左側の消防士がまるで人形みたいで、でも目だけ動いてこっちを見た! なんか、生き人形と目が合ったような気分。サイレントの異様な光景はあっという間に去り、中里さんと顔を見合わせ、そのまま人形の話になる。そんな夏の夜。

2002年4月20日(土)

 日没後、ギャラリー木土水の屋上で、中里和人さんとともに「闇を語る夕べ」というイベントをやる。その前に、近くを散歩していたら、「公園」という名の公園があった。門柱に縦書きで大きく「公園」と浮き彫られている。どうしたことか。単なる「公園」なのに、シカやクジャクや巨大師(弘法大師の大きいやつ)がいる。すごい単なる公園だ。実はハム園なのかとも考え、用心したが、園内にハムらしきものはなかった。

2002年4月18日(木)

 下敷きを使って自家発電し、蛍光管を灯すという遊びをやってみる(これも『親子で遊ぶ科学手品100』に載っている)。下敷きじゃなくて、薄くてしなしなした半透明CDプラケースを使うことにした。
 午前2時前、部屋の電気を消して、まず、CDケースを脇に挟んでゴシゴシやって静電気を貯め、それから、10W蛍光管の一方の金具を手に持ち、もう一方の金具にCDケースをくっつける。すると一瞬、ほのかに蛍光灯が光る。「ピカッ」ではなくて、「ふっ」と、上品な光。
 あの、ふだんは部屋の隅々までまんべんなく照らしている、パキパキの蛍光灯が、ふっと一瞬の幻のように灯るのだ。これはもう、別種の光だ。蛍光灯のまったく知らなかった一面を見た。こいつぅ、やればできるじゃないか。パキパキの君も好きだが、今夜の君は大好きだ。

2002年3月20日(水)

 庭に笹(正確には竹かな)が繁りまくっている、日の出町の家。
 刈った笹の処分が全然終わらないうちに、もうまた笹が伸びてきている。
 だれかオレに、パンダをくれ。

2002年3月19日(火)

 引っ越して間もないころというのは、心霊体験っぽい体験をすることが多い。
 日の出町大久野の、明治時代に建てられたというこの家に移り住んで以来、夜中に、トトトトト……と子どもが廊下を走る音が聞こえ、背筋を寒くすることがたびたびある。
 こ、子どもなんていないのに……と息を呑みながら大井と顔を見合わせたりしたが、ほどなくそれが、小動物が天井裏を走る音だとわかり、一件落着した。とはいえ、そうとわかったあとも、その音を聞くと、聞く場所によって、天井裏を走る音ではなく、廊下を走る音に聞こえ、着物姿のおかっぱ頭の女の子が廊下を走って突き当たりでフッと消えるとかっていう、山岸凉子的映像をイメージしてしまい、かなり怖い。
 その天井裏の小動物とは、いったい何者なのか。豪徳寺の家の天井裏を走っていたクマネズミの、パタパタとした軽い足音とは全然違う。我々は、走るときの重量感、音の歩幅、大井が屋根の上で見た足跡、そのほかの情報から、ジャコウネコ科のハクビシンの可能性が大きい、という結論を出した。
 するとどうでしょう。今日来た回覧板に「近年大久野地域の山間部を中心としてイノシシ、ハクビシン等による農作物への被害が増加」という記述があるではないか! 我々の結論が正しかった可能性が、ものすごーく大きくなった。ハクビシンは昔は、東京都にはいないことになっていたと思うが、棲息地域が拡大しているようだ。
 ザシキワラシの正体はハクビシンではないだろうが、でも、こういう、実際には天井裏を走っているのに廊下を走っているように聞こえてしまう、というような定位の錯聴体験が、伝説のもとになっているかもしれない。

2002年3月2日(土)

 自治会館(萱窪会館)で地元のインディアカ・チームの飲み会。
 50過ぎくらいのMさんと、禁煙話をする。私はチェーンスモーカーだったが、3年以上前に煙草をスッパリやめ、その後1本も吸っていない。だが禁煙後、煙草を吸う夢をよく見るようになった。そしていまだに夢煙の習慣は続いている。
 しかし、Mさんはもっとすごい。煙草をやめて20年くらいだが、煙草を吸う夢をまだ見るという!
 やめたのが30ちょい過ぎで、常習になったのが10代後半とすると、10年ちょっとしか喫煙習慣がなかったのに、20年間、夢煙の習慣が続いていることになる。起きているときより眠っているときのほうが、喫煙経験が長い!
 私なんか、まだまだだ。もっとがんばらなくては。

2002年1月27日(日)

 朝、ユニクロのマイクロフリースを脱いだら、暗闇に静電気の緑の火がたくさん見えた。とても綺麗で、幻想的だった。
 変だなあ、栃東って、すごーく昔からずーっと幕内にいるような気がするなあ。磯野みたいだなあ。と不思議がっていたら、親子二代で栃東なのだった。ということを知ったのはいつだったか。すごーく最近。たとえば昨日とか。その栃東が優勝決定戦に勝って、30年ぶりに幕内優勝した。いいなあこういうの。
 夜、大井と2人で第3回みかんの皮花火大会を行う。部屋の電気を消してロウソクを立て、みかんの皮をギュッと絞ってロウソクの火に皮の汁を飛ばす。そうすると花火みたいになるというのが米村傳治郎監修『親子で遊ぶ科学手品100』(高橋書店)に載っていたので、1週間前に第1回みかんの皮花火大会を挙行。ふつうのみかんでやったらパッとしない大会になったので、昨日、伊予柑を使って第2回大会。すると汁がたくさん散って、瞬間線香花火って感じ。今夜は三浦産の八朔とランプの火の組み合わせ。伊予柑と大差なかったが、幾分いい。

2001年12月8日(土)

 『となりのトトロ』を観て泣く。

2001年11月19日(月)

 知り合いを誘って「棒ノ折山流星浴ハイク」と題したナイトハイク。奥多摩の棒ノ折山(標高969m)に登り、山頂に寝っ転がって、しし座流星雨を浴びる。
 青梅線川井駅から歩き始めたのは昨日の21時半ごろか。まず、大丹波川沿いの車道を北上。どのへんだったか、まだ早い時間だというのに、派手な流れ星が目の前を通り、山の向こうに消えた。私しか見なかったし、シュルルルと尾を引くような感じで、あまりに明るく立派すぎたので、流れ星じゃなかったかもと不安になる。が、それが間違いなく流れ星だったことをあとで思い知る。
 奥茶屋キャンプ場で大丹波川を渡り、棒ノ折山南面の山道へ。権次入沢沿いを登っていると、ある橋の上で、またシュルルルと長く明るいのが落ちた。今度は私と藤本たりほさんの2人が目撃。またもやあまりに立派でホントに流星なのかと訝ったがしかし、流れ星以外に考えられない。
 流星雨の予感……。
 ほかの4人のライトがそれぞれ少しずつ違っていて、先に登って彼らを待っていると、なんかいろんな妖怪がやってくるみたいに見えて、結構いい。山の神に到着。賽銭。ここから植林帯をジグザグに急登していく。木々の間からまた流れ星が見え、期待が高まる。
 植林帯が終わってカヤトになったかと思うと、すぐ山頂に飛び出す。わーっと星のドームが現れ、遠くにダーッと都心方面の夜景が広がる。素晴らしい! 降るような星空とまではいかないが、天の川が見える。あとから到着した婦女子3名が歓声を上げる。素晴らしい光景の中を、時折流れ星が行く。多田君枝さんが思わず「ディズニー映画みたい!」と声を上げた。「ちょっとその比喩はー」と苦笑しかけたがしかし、たしかにそのとおりなので、苦笑を途中で切り上げた。スタードームとボリュームある夜景、そして流れ星……。
 山頂到着は午前1時ごろだが、すでに数十秒に1回くらいの割合だろうか。どんどん星が流れる。みんな浮き足立ってしまい、スリーピングマットを敷いて、寝袋を出して巣作りをしようとするが、空から目を離したくなくて、あたふたしている。あったかいお茶を飲みたくてテルモスを出そうとするものの、そんなことしてる場合じゃないって気分で、なかなかお茶にたどり着かない。弁当を食おうなどという発想には全然ならない。
 すごい流れ星がどんどん来る。流星痕を残していく。流星痕が緑色に見える。東から西へ横断するように長い流れ星が走った。それがビカッと強く光って、痕を残した。音が聞こえてもおかしくないくらいの爆発、明るさだった。実際、音がしてたのかもしれないが、興奮して声を上げていたので、自分たちがうるさくて聞こえなかったのかも。ちっ。
 この火球は、痕がすごくよく見える。まるで飛行機雲だが、龍の形をしている。なかなか消えない。永続痕だ。私の人生の中で一番みごとな流れ星。っていうか、山道に入る前に見たやつも含め、私の人生でほとんど見たことのない流星だらけ。今まで雑魚ばかり見ていたのだ。よく思い返せば、ペルセウス座流星群を見に丹沢主脈の姫次に行ったとき、山道に入る前に見たのと同じくらいのを見た気がするし、昔箱根で見たような記憶がある火球も、そういえばこういうものだった気がするが、あとはみんな雑魚。
 大興奮の中、アッシャー博士の極大予想時刻(2時31分と3時19分)に向かって星がどんどん流れていく。平たい石でやる水切りみたいに、一度空に潜ってからまた延長線上に現れる飛び星もある。極大予想時刻のころには1秒間に下手すると10個くらい流れているときもあったように思う。2つ同時に平行に流れたり、3つ同時に流れたり。こんなにたくさん流れ星を見たのは初めてだし、こんなにいろんな流れ星を見たのも初めて。速いやつ、遅いやつ。長いやつ、短いやつ。明るいやつ、暗いやつ。地平線近くでビカッとくるやつは、まるで空爆みたい。遅くて暗い流星というのも味わい深くて好きだ。
 流星はどんどん来るが、極大予想時刻のころは、輻射点のしし座が高く上がったこともあってか、天頂のあたりにはあまり流れず、地平線近くによく流れたように思える。だから、寝っ転がって見ていると、目の端にどんどん流れる感じで、雨という感じではない。しかし量はすごい。
 極大予想時刻に近づいたころ、ようやく気持ちが落ち着いてくる。流れ星の量が多すぎるので、だんだん雑魚は追わなくなる。って、なんてぜいたくな!
 4時をすぎても流れ星はどんどん来る。寝袋を出て、立ち上がって眺める。大井が「立ってみるとホントに雨みたい」という。たしかに、上から下へ、どんどん降ってくる。どっちを向いてもすぐに星が流れるというのがすごい。
 しまった。3時台の一番激しかったときに立ってみればよかった。そしたらホントに星の雨だと思っただろう。たくさん見るために仰向けになるという手は、たいして星が流れないときはいい。だが、輻射点が天頂に近づき、こんなにたくさんの星が流れる場合は、立って見るのが正しい。
 5時になってもどんどん流れる。朝食をとることにする。流れ星に降られながら、それをあまり気に留めずに食事とは、なんてぜいたくな。流星たちに向かって「もういい加減にやめにしないか、おとなげないなあ」と言いたい気分になり、最後にはついに根負けして、ショーが終わらないうちに、食事に専念してしまった。
 空がずいぶん明るくなってもまだ流れている。明けの明星が昇ってきて、朝焼けになってもまだ、ほかの星の見えない青い空間で、ビカッときている。朝焼けの中での流星なんてのも、初めて見た。美しい。こんなに明るくなるまでご盛んだとは。
 ご来光を拝んでから下山する。帰り道、大丹波川の水がきれいだ。西村佳哲さんは歩きながら眠ってしまい、ガードレールにぶつかっている。大井も歩きながら眠り、当たり屋のように車に向かっていく。
 お疲れさまでした。

一夜の夢の跡、山頂に残ったスリーピングマット痕
マット痕

2001年11月8日(木)

 法師温泉からバスとバスとタクシーとロープウェイとリフトで、谷川岳を望む天神山へ。ここのロープウェイはリフトのようにどんどん来る。
 足元は雪だ。山頂なのに泉があり、どんどん水が湧き出ていて不思議。
 泉には賽銭がぎょーさん投げ込まれていて、まるで水と一緒に小銭が湧き出ているように見える。泉の左にある郵便受けみたいな賽銭箱にも小銭がぎょーさん入っていて、もうちょっとで口から小銭があふれてきそうだ。もしかして賽銭箱ではなく、小銭が湧く箱なのかもしれない。
 リフト乗り場の上の展望台は、なんだか船のデッキみたいな感じ。谷川岳が氷山に見えてきた。

泉からも賽銭箱からも小銭があふれそう
湧銭

取舵いっぱいで氷山をよけようとしているところ
谷川氷山

2001年11月7日(水)

 法師温泉へ。
 途中、猿ヶ京を散策したら、神明神社の石段を登りきる手前に金精堂という小さなお堂があった。黒光りする男根とこれまた黒光りする女陰が祀ってあり、賽銭箱の周りには男根林もある。女は右横の小窓(お手入れ口)から男根を触り(小さな窓と大きな男根の組み合わせがいい)、男は左横の小窓から女陰を触るようになっている。ので、触った。三国街道の猿ヶ京関所跡の背後には、「ホテル関所」という名のホテルがある。チェックインするとき、厳しそうだ。
 法師温泉は、大浴場の浴槽が湯の湧く川原に載っかっている状態で、浴槽の底は一面、川原の玉石。これが川というか海に浸かってるような気分にさせて、かなりいい。

深窓の令根
令根

2001年10月15日(月)

 着物だ!
 旧いホーミー仲間のいとうせいこうさんに案内してもらい、浅草で着物ショッピング。「いとうせいこうといこうせんそうじ」ってのはどうか。どうもこうもない。もちろん「行こう浅草寺」であって「憩う戦争時」ではない。そんなことはいい。
 言われるがままに肌襦袢、ステテコ、半襦袢、足袋、紐を買ったあと、別の店で長襦袢と正絹の角帯を買う。そしてメインのアンサンブルは、いとうさんのお古を譲り受ける。ありがたい。
 帰宅後、肌着からなにからひととおり着てみる。帯の貝の口結びと羽織紐の結びに苦労する。脱いで畳むところまでやり、くたくたになる。

2001年10月13日(土)

 八丈島最終日。今日もメットウ井戸(まいまいず井戸みたいなものだが、想像していたより大きく深く、円形劇場みたいでカッコイイ)をはじめ、いろんなところへ行く。もうほんとうに八丈島を楽しみまくった。
 八丈植物公園のビジターセンターでもう一度しつこくヤコウタケを観たりしたあと温室へ行ったら、温室のガラス戸が開いたままになっていて、中の空気が外とあんまり変わらない。しかも、中の植物も、外とあんまり変わらない。
 八丈の植物たちは、植えたのか生えたのかよくわからない。南から来た植物が、すごく色艶よく繁茂している。伊豆半島あたりの道に無理矢理植えられ、寒々しくて生気のない南国系植物とはわけが違う。栽培と自生の区別がしづらく、区別する必要などない島。海外旅行があたりまえになる前、八丈島の景観は日本の南国として作られたが、時を経て、外から持ち込まれた南国っぽいものが、すっかりウソくさくなくなった。八丈島は沖縄より北にあるが、沖縄より南の島だ。昔、日本人がイメージした南国がここにある。
 行きはゆっくり行くのもいいが、帰りはとっとと帰りたいので、飛行機で帰る。素晴らしい夕焼けを観ながら離陸し、水平飛行に入ったと思ったらもう着陸態勢に入り、あっという間に羽田に到着。放物線気分だ。

沖縄より南の島の宗福寺。
宗福寺

2001年10月12日(金)

 八丈島の旅は続く。
 道に迷いつつも唐滝まで行ったら、風に流されて、唐滝が的を外していた。しっかりするんだ。滝壺はあっちだ。
 いろんなところに行ったあと、夜、光るキノコの観察会に参加。町役場に近いビロウのヤシ林の中はすごく暗く、ビロウの群れのシルエットが南国的な夜の怖さを出していて、実にいい。エナシラッシタケという数ミリ程度のちっちゃくて白くて柄のないキノコが、ビロウの落ち葉にたくさんくっついていて、ぼーっと緑色に光っている。その光と、ビロウの幹に生えたヤコウタケの緑の光が、上下遠近に広がり、闇の奥行きが強調されて、まるで宇宙空間にいるような気分。これはたまらない。
 これくらい暗い環境がないとこのキノコたちの光は見えないだろう。これくらい暗い環境がないとヒトダマも見えないだろうということが実感できる世界。ヤコウタケは、ビロウの毛みたいなもさもさ(繊維)の中に、身を隠すように生えていた。なんというか、竹の中のかぐや姫みたいな感じ。この状態では昼間はなかなか見つからない……あ、かぐや姫って、そういう話かも。夜光系の生き物を見た体験があの話につながっているのかも。
 町役場から歩いて民宿にもどる。向こうからおばさんらしき人が歩いてくるが、暗くて顔がまったくわからない。顔が見えないのだから、実質的にのっぺらぼう。妖怪の世界だ。

各々好きなポーズで立つ。朝のロベ畑。
ロベ畑

2001年10月11日(木)

 夜中はものすごい雨で、ザシキワラシたちが屋根の上を走っているような雨音がして、すごく南国的な雨で、しかしそれが通り雨ではなく、緩急を使い分けながらもずっと降り続いていたので、今日の午前中はダメだと思っていたのだが。
 朝になったらスカッと晴れていた。八丈富士(お鉢巡りが怖かった)、ふれあい牧場(あまりふれあえなかった)、優婆夷宝明神社(ホーメイ神社かー)、玉石垣の大里などへ行く。
 玉石垣は、あまり期待していなかったのだが、思っていたよりずっと気色いい。クセになりそう。パチンコとトウモロコシとコオイムシが好きな人はきっと、玉石垣を気に入る。玉石が全部孵化したらどうしよう。などといらんことを考えると、さらに気色いい。

八丈名物、子負い垣。
玉石垣

2001年10月10日(水)

 8時半ごろ、八丈島の八重根港に着く。ここは夏だ。朝だがすでに暑い。
 観光協会と産業観光課を目指して歩く。途中、宇喜多秀家の墓に寄る。墓地の供花が綺麗で驚くが、よく見ると造花と本物の花が共生している。南国の派手な景色の中では、造花と本物の区別がつきにくい。それに、南国の派手な日差しの中、造花と本物を区別しようという気もあまり湧いてこない。なんだか素晴らしい。
 産業観光課で、光るキノコの観察会の参加申し込みをする。ケータイの番号の記入欄があるのを見て、「使えるのかなあ」とつぶやいてしまい、あ、失礼なことを言ってしまったかも……と思ったが、実際、八丈島ではドコモしか使えず、私たちのauは、この島では懐中時計だということが判明した。
 三根地区にある民宿まで歩き、部屋で少し休んでから、高倉などを見つつ底土港方面へ。港の近くのレストランで昼食。店内には、ユーミンの昔の曲が、当然のように流れている。
 キャンプ場、イタチの死骸、抜舟の場、神止山、黄八丈を着けたお地蔵さんなどを見つつ、さらに歩いて八丈植物公園へ。園内にあるビジターセンターで、光るキノコのヤコウタケ(グリーンペペ)に初めて対面。闇のフィッティングルームみたいなボックスがあり、そのボックスに入って暗幕を引く。すると、ボックス内に約真っ暗闇ができ、ヤコウタケの発光が見られる。光るキノコと秘密の会合をする感じ。
 植物公園で飼われているミニ鹿のキョンと異種ホミしたが、たいした反応はなかった。その後、イタチが道路を横切るのを見たが、あっという間だったので願いごとを唱えるのを忘れてしまった。くー。そんな風習はないが。
 とにかく溶岩だらけの島だ。いろんなところにさまざまな形で溶岩が使われていて、素晴らしい。アシタバドッグなどを買い食いしたあと、宿にもどる。広い民宿だが、ほかに客はおらず、またしても貸切状態。飯食って風呂入って寝る。消灯放送はなかった。

溶岩垣に小さな神様スペース。神棚ならぬ神穴。
神の穴

2001年10月9日(火)

 大井とともに、22時30分発の船で竹芝桟橋から八丈島へ。乗船してふと気づくと、いつの間にか出航していた。船がレインボーブリッジをくぐる。
 空いている。10人分のベッドがある特2等船室まるまる1室が、貸切状態。眠れそうな気がしたので、23時ごろ、とっとと寝る。ところが、せっかく寝入ったのに、23時30分ごろの消灯の放送で起こされ、眠れなくなる。
 世の中、間違っている。

2001年10月3日(水)

 永田町の国会前庭にある日本水準原点を見に行く。
 石造りの神殿みたいな小屋に「大日本帝国」「水準原点」と浮き彫られている。この小屋の中に、日本の高さの原点があるわけだが、原点のくせにずいぶんとデコラティブに囲んだものだ。右から書かれた「水準原点」という字自体もデコラティブ。しかも、原点だからといって標高0mなのではなく、標高は24.4140m。標高までデコラティブ。
 原点はシンプルだという常識を覆す逸品である。

なんだかよくわからなくなっちゃったら帰る場所
ああ

2001年9月19日(水)

 嵯峨野を歩いていたら、店の屋根が林になっていた。
 屋敷林ならぬ、屋根林。

屋根林
屋根林

2001年9月18日(火)

 京都へ。
 哲学の道を歩いていたら、ドブが川(疎水)を渡っていた。
 合流しないで渡るというのがおもしろい……と最初は思ったが、考えてみれば、下水と上水なのだから、合流させないのは当然。しかし、突如として宙を行くドブは、突然地上に出る地下鉄みたいでいいし、下水が上で上水が下というのが、緊張感があっていい。

ドブの川渡り
川を渡るドブ

2001年8月18日(土)

 雨と霧の中、スギャーラ君、ミャーザー君とともに蔵王・熊野岳に登頂。下山中、急に霧がバーッと晴れ上がってきて、「おお、おおおおおおおー!」と3人が思わず叫んでいるうちに、お釜がワーッと足元に姿を現した。「来てよかったー!」と感激の声を上げて振り返ったら、ほかの登山者がニコニコこちらを見ていた。私が喜んでいることを彼が喜んでいるのが嬉しい。
 気を良くした私たちは、晴れの熊野岳に登頂し直した。弁当を食う私たちのすぐ左、手が届きそうなところを、雲が渡っていく。
 しばらくして、山上はまた霧に呑まれた。ケルンだらけの霧の刈田岳に登頂後、不動滝、三階滝を観つつ車で下り、仙台へ。昨日も思ったが、車から見た宮城の風景は素晴らしい。なだらかな緑の山、黄緑の田んぼ。看板が少ないと思うし、ミャーザー君が言うように信号がすごく少ない。ほかにもなにかと少ない。つまり、余計なものがない風景。
 夜、仙台で酒盛り。昨日、酒がだいぶ入ったところで名刺をくれたミャーザー君が、今日もまたかなり酒を飲んだところでスッと名刺を差し出した。
 ミャーザー君の名刺を集めるコツがわかった。

2001年8月17日(金)

 早朝、さる家を出発。いい歳こいて各停乗り継ぎで仙台へ。黒磯駅に着き、ああこれでやっと東北に入ったかと思ったら、まだまだ全然栃木で驚く。が、このあたりの風景はとてもいい。
 福島駅構内でサンドイッチの昼食。福島始発の2両編成の普通列車には、仙台に遊びに行くらしき若人が、結構乗っている。つまり福島は、東京に背を向け、仙台に向いている。結局のところ、仙台を通して東京に向いているのだから、仙台は反射板みたいなものだとも言えるが、でも仙台の引力の強さを感じる。今までは、東京の強大な引力に逆らって北上していたが、ここまでくればあとはもう、仙台の引力に身を委せていれば自然に仙台に着く、という感じ。
 宮城県に突入し、白石駅の次の東白石駅に着くと、駅のすぐ向こうにゆったりした白石川が広がり、その向こうに青麻山などの山が、そのまた向こうに蔵王の山並みがゆったりと見え、ああ、なんだか夢のような、素晴らしい眺め。新幹線で行ったらこの風景に出会えなかったわけで、これだけで各停で行った甲斐があった。
 電車に揺られることにほとほと疲れた14時過ぎ、仙台駅改札で旧友スギャーラ君と合流。そのあとさらに、旧友ミャーザー君と合流。ミャーザー君の車に乗り、酒を買って蔵王山東麓の遠刈田温泉へ向かう。
 車窓から人工湖(釜房湖)が見える。よくある深い渓谷を堰き止めた人工湖と違って、まわりの山が低くなだらかで、これまたゆったりしていて、いい感じ。北海道かどこかの湿原みたい。
 こけしの立つこけし大橋を渡って、みやぎ蔵王こけし館へ。こけし大橋は、もしかしたら大変な橋かもしれない、と、期待を寄せていたが、あんまり変ではなかった。
 こけし館の展示の中で一番気に入ったのが、取っ手がこけしの頭になっている入れ物。この形、人頭蛇身のとぐろを巻いた弁天さまを思い出させる。あるいは、入れ物から子どもが生えてきたようにも見え、目が釘付けになる。スギャーラ君によれば、これは、赤ん坊をかごに入れて動かないようにした状態だという。東北にはこういうふうに赤ん坊をフィックスする風習があるんだそうな。なるほどー。でもってこれを嬰児籠(えじこ)という。
 ろくろでこけしを作ると知り、なるほどー、確かにあの形はぐるぐる回して作った結果だよなー、とついうっかり感心したら、スギャーラ君とミャーザー君に、そんなことも知らないのかとバカにされる。そうなのか? 日本人の常識なのか? それとも、東北人の常識なのか? ろくろと言えば、粘土とか、そういうレロレロしたものを回しながら造形していくイメージがあって、ろくろで木を成形するってのは、私にはちょっと新鮮だったんだけど。
 展示品の中には、なんにも絵付けされていないのっぺらこけしもあり、それはそれで完成品で、これがちょっと怖い。こけしにすごくバリエーションがあっておもしろいが、展示数の多さに食傷気味。最後に売店で例の弁天さま的こけし容器を買おうとするが、売っている物は展示物より劣り、欲しくならない。そりゃまあ当然だろうが。
 こけし館を満喫したあと、遠刈田温泉の宿へ。日差しの中で露天風呂に入ると、南の島の潮溜まりに浸かっている気分。入浴後、部屋で酒盛り。その後、食堂で酒盛り。さらに部屋にもどって酒盛り。明日もきっと、酒盛り。

2001年8月10日(金)

 大井とともに、砧公園の隣にある厚生年金のプールへ。流水プールやウォータースライダーが、すべてを水に流している。仰向けになってウォータースライダーに身を委せると、滑っているというよりも、なんか、雪崩に巻き込まれているような感じ。最後に小プールに突っ込む時が、激しくていい。雪崩に遭うと命がたいそう危険なので楽しくないが、もし雪崩があんまり危険ではなかったら、きっと楽しい。

2001年8月8日(水)

 暮れゆく日比谷公園で時事通信の取材を受ける。園内にそびえる三笠山主峰の登山道で撮影後、蚊に刺されながら夕闇インタビュー。
 日比谷公園内には、ヤップ島の石貨や南極の石が無造作に置かれていて、実にいい。珍しいものだから盗みたくなる人もいるだろうが、出来心で盗むには重過ぎる。かといって、真剣に準備して盗むほどのものでもない。そういう絶妙なバランスの上に、この無造作な野外常設展示の安寧が成立している。素晴らしい。

2001年8月1日(水)

 上高地最終日。自然研究路を歩いていたら、大正池のほうから関西弁がどんどんどんどんやってきて、森の中が関西弁だらけになる。
 しかし上高地は、どっちを向いても絵葉書みたいに美しく、風景に付け入る隙がほとんどない。テキトーにシャッターを押しても、絵葉書みたいな写真が撮れてしまう。人気があるのが頷ける。

2001年7月31日(火)

 火山好きなので、上高地に来ても火山を目指す。大井とともに、北アルプス唯一の活火山、焼岳へ。
 樹林帯をしばらく登ったあと、明るい草地の斜面をジグ、ザグ、ジグ、ザグと新中尾峠へ登る途中で、カモシカ発見。20mちょっと離れたところで、たぶん草をはんでらっしゃる。実はだいぶ下から見えていたのだが、こっちにケツを向けていたので、なんかベージュ系の柔らかい質感の岩があるなあと思いつつ歩いていて、その柔らかいベージュがカモシカだとは夢にも思わなかった。「カモシカに遭遇するかも」と、話しながら登っていたというのに。しかし、カモシカもカモシカだ。背後から人が近づいているというのに、ケツを向けっぱなしとは、いかがなものか。
 デジカメを構えながらカモシカに向けてホーミーしたら、こっちを向いたのでパチリ。またホーミーしたら、またこっちを向いたのでまたパチリ。またまたホーミーしたら、またまたこっちを向いたのでまたまたパチリ。またまたまたホーミーしたら、今度は無視。
 中尾峠を経て焼岳北峰に立つと、静かで美しい緑色の火口湖というか火口池と、爆裂火口と、シューッと音を出しながら勢いよく硫気ガスを出す噴気孔が見える。山頂部全体がこぢんまりとしながらも火山のアイテムを取り揃えていて、こんな火山は初めて見るが、このこぢんまりと変化に富んだところがすごくいい。
 北峰と南峰の鞍部から中ノ湯方面へ下っていく。振り返って仰ぐ焼岳は、中尾峠側とは全然違うふうに見える。ずっと荒々しく他界的。
 樹林帯に入ると、やがてブナ林になって、いい感じ。さっきの死の世界の対極だ。なにかの作業用に新設された低架モノレール(とは呼ばないだろうしトロッコみたいなものなのだが、でもレールはモノだ)をまたぐ。斜面を登っていくモノレールを見たが、まじめな仕事をしに行くのに、なりが遊具っぽくて微笑ましいし、このモノレールと掛けてセミと解く。その心は、体が小さいくせに音が大きい。
 車道に出て振り返ると「立入禁止」と書いてあるが、出たあとで入るなと言われても。車道をちょっと下ると中ノ湯バス停。バスに乗ってホテルにもどる。
 夕食後、夜の上高地を少し散歩。田代橋、穂高橋へ行く。初めは目が慣れずすごく暗かったが、舗装された道が月明かりや宿などの灯りを反射して、すごく暗いなりにちょっと明るく、足許に不安はない。ので、無灯火散策を楽しむ。
 橋の上から梓川の上流を見たら、川面にひとかたまりの霧というか雲がある。小さなその雲が少し大きくなったように見え、ちょっと目を離したあとまた見ると、雲がフワーッと広がりながらこっちへやってくる。うわー、霧に包まれるーと思ったら、すぐに雲が雲散霧消した。スピルバーグ系の霊団かなんかに体を通り抜けられたような、不思議な気分。

2001年7月30日(月)

 今日から2泊3日で上高地。新島々駅からバスに乗ると、次から次へと芋づる式にダムが現れる。田中康夫知事がダム建設を止めさせようとするのが頷ける。とどめは大正池。これは、焼岳が知事に内緒で建設したダムだ。けしからん。大正4年竣工。

2001年7月27日(金)

 『Yomiuri Weekly』の取材を受ける。ファッションのカジュアル化とともに、声のカジュアル化も起こった、声態は形態だぁー、という話をはじめ、声と社会について大いに語る。

2001年7月9日(月)

 江戸川区の富士塚を縦走後、船堀富士の近くに妙な築山を見つける。頂上に、キリンふうの角とウサギふうの目をもった宇宙人ふうのコンクリート像が2体、並び立っている。夫婦神ふうだが、雌雄の区別がつかないところがカタツムリふう。水平に伸びた両腕は磔ふう。全体的にはなんつうかこう、ピボッとした感じ。なので、ピボット山と命名しておく。
 ついでに、人頭蛇身の弁天様が岩屋にいらっしゃる江島杉山神社にも行く。

船堀のピボット文明
ピボット山

2001年6月12日(火)

 大井とともに、JR常磐線亀有駅から飯塚富士、水元神社を経て、水元公園へ。思いがけず、大木に生アオバズクを見る。アオバズクの生声には世田谷で慣れ親しんでいるが、生姿をちゃんと見るのは初めてなので、すごく幸せ。ずいぶん高いところにいるのだが、愛と双眼鏡があるから大丈夫。道行く人が、ミミズクがどうのと言っている。ここは有名なアオバズク見物スポットのようだ。
 アオバズクの体はフクロウよりだいぶ小さく、羽根はチョコレート色と生クリーム色でおいしそうな感じだが、そうは言ってもフクロウ科の一員。タカ的な猛々しさが見え隠れする思索者的平面顔で、やっぱりそんじょそこらの鳥を見るのとは違って「ご尊顔を拝する」っていう気分。実際、なんだか皇居東庭と長和殿ベランダみたいな位置関係だし、こうなってくるとアオバズクに向かって日の丸の手旗をパタパタさせたくなる。
 水元公園を堪能したあと、松浦の鐘を見てから、しばられ地蔵の南蔵院へ。境内裏手に蹲踞があり、ムムッと柄杓で水をすくって玉石の海に垂らしてみたら、やはり水琴窟だった。
 しばられ地蔵さんは、全身を徹底的にしばられていて、これでは身動きができないどころか、目も見えず、息もできない。かつて大岡越前守に、盗難を見過ごしたことを咎められ、しばかれたこのお地蔵さんだが、今の状態では目の前で盗難があったとしても目撃することができないから、同じ手は使えないぞ忠相。

2001年3月10日(土)

 昨日オープンしたばかりの上町のユニクロで豪遊する。

2001年3月2日(金)

 『コンフォルト』編集部の豊永郁代さんとともに、朝の新幹線に乗り、宝塚にある「ゼンカイ」ハウスを訪ねる。
 建築家の宮本佳明さんの家は、阪神大震災で「全壊」判定を受けたが、安易に建て直すことを嫌った宮本さんは、崩れかけた木造の家に鉄骨をガンッガンッガンッガンッと突き刺して、強引に修復した。それが「ゼンカイ」ハウスで、今は宮本さんのアトリエとして使われている。
 実物は写真よりも、激しい。思っていたより、いい意味で怖ろしい。異質なものが激しく同居する、『鉄男』的なカッコよさ。鉄骨が、新しい骨としての違和感と信頼感をみなぎらせている。鉄骨の色がアイボリーだということもあって、ほんとうに生き物の骨っぽく思え、ゾクッとする。鉄骨って、骨だなあ。
 取材後の酒の席で、実は「ゼンカイ」ハウスにはザシキワラシがいる、と宮本さんが言い出す。だからあの家を取り壊さなかったのだという。顔を覗き込むと、笑っていない。その真顔自体が周到な冗談なのかもしれないが、よくわからない。でも、そういうのも含めて、この人は建築家として素晴らしいなあと思う。いやもちろん、人としても。
 ふと振り返ると、豊永さんが酩酊していた。

2001年2月25日(日)

 JR武蔵五日市駅からバスで十里木まで行き、そこから歩いて養沢鍾乳洞に行く途中、面妖なレリーフに出会った。
 トーマスさんというおかたの胸像なんだが、なんか首が据わってない。っていうか、顔のところだけくり抜かれた等身大の着せ替え書割が立っていて、その背後に回って顔だけ出してハイ記念撮影、っていうのが観光地によくあるが、ああいう感じなのだ。トーマスさんの絵の向こうから生トーマスさんが顔を突き出している感じ。ひー。
 どうしてこんなことになってしまったのかわからんが、すごくいい。

どうしたトーマス
トーマスさん

2001年2月23日(金)

 奥武蔵の笠山(乳首山)・堂平山へ単独ナイトハイク。下山後、道路に立つ鳥居を振り返ると、鳥居のフレームの中に笠山の神なびた姿が収まり、しかし電柱もど真ん中に収まって、神聖なフレームと山をスッパリと引き裂いている。神経の行き届いた景色と無神経極まりない景色が平然と同居する。日本の風景の特徴をうまくまとめた秀作といえよう。

神の前に電柱でござる
電柱と笠山

2001年2月15日(木)

 いい天気。宿を出て、バスとロープウェイで榛名富士に登る。バスもロープウェイもほかに乗客はまったくおらず、連続貸切状態。素晴らしい眺望。富士山が見える。
 榛名湖畔や湖上をぶらついたあと、バスを乗り継いで水沢へ。すごい。見渡すかぎり、見事にうどん屋しかない。うどんの国。水沢うどんを食う。うまい。うどん後、水沢観音を経て伊香保へもどり、なんだか伊香保御関所に入る。すぐ近くの旧ハワイ王国公使別邸にも入る。メラメラした昔の窓ガラスがいい感じ。
 石段街を一番上の伊香保神社まで行き、神社の右手からさらに奥へ。飲泉所で温泉を飲む。宿の温泉より味が濃い気がする。鉄のジュースだ。
 さらに奥へ行くと、源泉湧出口観覧所。透明ドームがはめ込んであり、それを通して中を覗き観るようになっていて、なんか、世界征服系の悪い人が悪巧みをして笑う場所みたい。そうして湧出していられるのも今のうちだ。フッハッハッハッハッ。
 伊香保温泉にもう一泊。

2001年2月14日(水)

 高崎芸術短期大学の水が印象的な庭園、水琴亭に行ったあと、身長41.8m、体重5985tの高崎白衣大観音へ。これが昭和11年建立というのはちょっと驚き。もっとずっと新しいものに見える。昭和50年建立とか。9階建ての高層胎内よりも、窓がちりばめられた後ろ姿のほうが、シップかピップか何かを貼りまくったみたいでおもしろく、魅力的。
 しかしこの観音様、衣が白いだけでなく、肌も髪も目も手にした秘密の巻物も、何もかも雪の彫刻のように白く、胎内も9階建てのかまくらといった感じであくまで白く、たぶん声も白い。だから「白衣大観音」というよりも「白い大観音」と呼んだほうが的確だと思うのだがしかし、肌や髪やなんやに見えるものも実は衣なのだということかもしれず、だとしたらたしかに「白衣大観音」ではあるけれど「着ぐるみ大観音」と呼んだほうが的確では。いいかそんな話は。
 白衣大観音から、左下に遊園地(カッパピア)を見ながら尾根を歩き、洞窟観音へ。入口からずいぶん離れたところに出口があるし、入口まわりがいいので、期待しつつ洞内に入ると、まず「なんだこんなもんか」と思う。ところが後半であっと驚かせ、畳みかけるという見事な構成。パチもんの滝や流れも、何かのトラップのような謎のちゃぶ台空間も、それから洞外にある徳明園(腹を抱えて笑う鬼の石像などがある)や単なる一軒家みたいな山徳記念館(のらくろ関係の展示をやっていた)もいい感じで、大変満足する。
 高崎から電車とバスに揺られて伊香保温泉へ。赤茶色に濁りまくった鉄の風呂がちょっと新鮮。温泉を飲んでみたら、金属の味がした。伊香保温泉泊。

高崎白衣大観音
大観音

2001年1月22日(月)

 人様の金で、日帰りで四国へ。高松市郊外の工房を訪ねる。
 飛行機を使えば、東京から高松まではあっという間で、楽々日帰りできる。金持ちにとっては、日本はとても狭い。貧乏人の私にとっては、日本はとても広い。
 羽田発高松行きの飛行機は、富士山のすぐ北を通る。朝だし真冬だしで、素晴らしい富士山が見えて、儲けた気分。
 工房の近くを歩いていたら、カラス除けがあった。東京を歩いていても、カラス除けが、黒いてるてるぼうずみたいに吊されているのをよく見かけるが、ここのは東京のカラス除けとはちょっと違う。吊されているのは本物のカラスの死体だ。……むう。
 高松空港で灸まんを買って帰る。

2001年1月12日(金)

 アメリカから里帰り中の妹と大井と3人で、鎌倉へ。
 江ノ電極楽寺駅から、まず星月夜ノ井へ向かう。途中、檻に入った日限六地蔵を発見。酔っ払いがお地蔵さんをぶっ壊したりしたので、しかたなくシャッターを取り付けたのだという。なんともすさんだ感じだがしかし、檻地蔵とか囚われ地蔵っていう名前にしてしまえば、これはこれでおもしろくてオッケーかも。
 星月夜ノ井から力餅家の先を右に折れて由比ヶ浜へ。路地の向こうに海が見えていい感じ。浜に出たら、とんびがすぐ近くにいる。近くで見るとデカイ。着陸しようとしたハトが強風に流されて慌てている。
 由比ヶ浜を後にして日本最大の木魚がある長谷寺へ。前に長谷寺に来た時は、水子地蔵群と風車群が異様なムードを作っていたと記憶しているのだが、なんかきれいになって異様さがなくなった気がする。風車群がなかったし。だがここは拝観料300円を取られても納得できる。ちょっとしたテーマパークだ。
 長谷通りにもどり、高徳院へ。拝観料200円を払い、大仏を拝む。大仏は相変わらず大きい。大仏までは長いアプローチがある。大仏殿があった昔はそれでよかっただろうが、露天ではもう少しアプローチをくふうして、近くに行くまで大仏がちゃんと見えない(目が行かない)ようにしたほうがいいと思う。妹が大仏入りの御守を買っているが、それでは小仏。
 大仏の丸い背中の窓2つが、巨大ロボットっぽくていい。20円払って大仏の胎内に入るが、階段があって上に行けるようになっているのに、今は階段から上がなんだか変な理由で立入禁止になっていて、下から仰ぎ見るだけ。立入禁止は一時的なことのように書いてあるが、実はもうずっと立入禁止のままのような気がする。上に行けないので、胎内巡りという感じではない。胎内に入って溜まって出るだけ。半分しか楽しめなかった気がして、なんか10円返してほしい。
 高徳院を出て、大仏坂から裏大仏ハイキングコースに入る。浅間神社へ下る道を右に見て、タイワンリスも右に見て、源氏山へは行かず、銭洗弁天へ。車道からトンネルをくぐると、ぽっかりと境内。奥ノ院の洞窟は小銭の大浴場みたい。千羽鶴が鍾乳石のように垂れる。
 銭洗弁天から早歩きで水琴窟のある浄妙寺へ。浄妙寺の茶室喜泉庵で、座して抹茶を飲みながら、のんびりと眺める庭園は、すごくいい感じ。枯山水を楽しむにはやっぱりこういうふうにしなきゃだ。他の客が入ってきたところで喜泉庵を出る(つまり最後まで貸し切り状態だった。えがった)。
 鶴岡八幡宮の前までもどり、アーミッシュの店を左に見つつ、鎌倉街道を、マロン菓子がうまいという歐林洞へ。店の前で値段の高さに動揺し、写真だけ撮って帰ろうかと話し合う。が、結局店に入る。本物のお嬢様を見抜く感じのおばさま〜おばあさまが応対。妹が6個1800円のマロン菓子とブルーベリーティーを買う。
 せっかくだからと鶴岡八幡宮にもお参りし、帰りに南町田のグランベリーモールに寄って、REIの屋内岩山ピナクルを見る。

檻地蔵 大背
檻の中の日限六地蔵 大仏の背中に翼



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