1998年11月5日(木)

 そんなアメリカ旅行から帰って来てからもう4週間近く経つというのに、土星がまだ消えない。ちょっと込み入ったことを考えようとすると土星が回りだし、頭が真っ白になる。
 土星が頭の回りを公転するのは時差ボケのせいだと思っていたし、そうであってほしかったのだが、そうではなくて禁煙のせいではないかという疑いが秋とともに深まっている。

1998年9月29日(火)

 今日もコクワガタのオスがいつの間にか来さる。早朝、湯舟に浸かってふと振り返ったら、彼も浴室にいらっしゃった。
 風呂から上がってアメリカに行く。デトロイトで飛行機を乗り継ぎ、最初の目的地、イーリー(エリー)へ。飛行機から降りると、極めて小さな土星が極めて短い周期で私の頭の回りを公転している。あっと言う間に1世紀。なんだこの土星は。

1998年9月27日(日)

 最近、秋葉原まで行く根性がない。今日も新宿で買い物(16MBスマートメディア、フロッピー防磁ケース、クッションケース2個、アルカリ乾電池)を済ます。防磁ケースはFDなら4枚、MOなら2枚入る財布みたいなやつで、なんと2300ガウスの磁気を遮断する!……といっても無論、2300ガウスってのがどれくらいのもんなのか、私にはさっぱりわからない。
 南新宿から小田急線に乗ると、産能大学の車内広告にパワーブック2400cが写っている。いい大学だ。

1998年9月26日(土)

 「ブルータス」編集部の立石和浩さんと非「ブルータス」編集部の三浦恵美子さん来さる。
 三浦さんはさる家がアジア風だと言う。立石さんは京都っぽいと言う。アジアを意識して巣作りしたつもりも京都を意識して巣作りしたつもりもなかったが、とにかく多くの男女(各1名)の意見を尊重するならば、さるすべりは京風アジア人だ。今後は時々そういうことにしよう。
 最近、東京在住の知り合いが続々と東へ移住している。立石さんもまた、東への移住を考えているという。みんな東へ行くのに、さるすべりだけが西に行きたがっている。下りのエスカレーターを駆け上ろうとしているガキのようだ。でも、今の私には、富士山から遠ざかる引っ越しなど考えられない。だから引っ越すとしたら西だ。
 といった話をしたら、「富士山は君が守れ」と立石さんから富士守に任命された。がんばります。

1998年9月25日(金)

 昏睡中に西村佳哲さんとアクシスの土肥さん来さる。といっても、突然寝込みを襲われたのではなく、お二人は約束した時間に予定通り来ただけだ。ししし、しまった。もっと早く起きて風呂に入って掃除して待ち受けるつもりだったのに。
 ……と書くと朝の話のようだが、午後3時の話。
 インタビューを受けつつ寝ぼけた顔と寝汗くせえ体の写真を撮られる。私の予想では、たぶん臭いは写らないと思うので問題ないが、寝ぼけた顔は写ると思われる。だが、しかたがない。自業自得。
 16時55分から、私が異種ホミする番組がフジテレビで放映されたが、ついうっかり見損なう。これも自業自得。
 「マックにトラブル発生、SOS!」という電話はよくかかってくる。今夜も、あるマックユーザーからSOS電話がきた。他人のマックのトラブルを電話で解決してあげるのはとても難しいことだが、私の場合、解決率はわりと高い。今夜も一応解決。すげえパワーユーザーってわけでもないのに大したもんだ……と自分を褒めてやって、今日の失策のショックを和らげてみる。
 SOS電話中にコクワガタのオスさんがまたもややってくる。コクワガタさんと会う約束はしてなかったと思うのだが、目の前の網戸にいらっしゃる。
 いつも思うんだが、なんで光に誘われてやってくるんだろう。どんな気分なんだろう。一度でいいから光に誘われる虫になってみたいと思う。二度でもいい。

1998年9月24日(木)

 女の園「コンフォルト」編集部へ行き、大井に高野豆腐を与えてみる。反応はあまりよくなかった。
 表参道を歩いていたら、脚がムチャクチャ細長いねえちゃんがいたので出足払いをしたくなったが、失礼かもしれないと思ったのでやめておいた。

1998年9月21日(月)

 モルダー? 深夜、『X-ファイル シーズン・ファイブ1』と『ウイルス』のビデオを借りて観る。当然アメリカ映画だと思って借りた『ウイルス』は、観てみたらドイツ映画だったのでショックを隠せなかったが、Duoやアップルステッカーが出てきたので嬉しさを隠せなかった。

1998年9月20日(日)

 今日もいい天気。川崎市市民ミュージアムに行き、アロアロ夫妻、大井とともに漫画研究者の会合「少女まんが研究の今後」に途中から参加。この前時間がなくてロクに観られなかった郷土資料関係の常設展示も観る(が、またもや時間がなく、駆け足)。
 会合の後、アロアロ夫妻は帰ったが、私と大井は武蔵小杉駅近くの韓国・中華料理の店で行われた懇親会に参加。濃い。
 韓国料理というのは甘さと辛さが同居している。アメとムチで舌を支配するという魂胆か。負けるもんか。
 懇親会で聞いた話。かつて、「花の24年組」のように「花の」という「枕詞」を付けるのが流行ったが、その「花の」っていうのはフラワーチルドレンから来てるんだそうな。
 ふーん、そうだったのか。この話を聞くまでは、『花とゆめ』っていう雑誌名はとても少女っぽいものだと思っていたんだが、『花とゆめ』……なんだかものすごくヒッピーっぽいものに思えてきたぞ。

1998年9月18日(金)

 大井は大阪出張。大阪に行くこと自体は羨ましいが、大変そうな仕事なので、慎重に検討した末、総合的に見て羨ましくないとの結論に達する。鬼の居ぬ間に洗濯しようと思い、『リバイアサン』と『第一容疑者』のビデオを借りてこっそり観る。鬼が居る時とやってることが変わらない気もするが、くよくよするな。
 『アビス』は観たが『リバイアサン』はまだ観ていないと思って借りた。実際、どのシーンにも見覚えがない。「うん、やっぱりこれは観たことない」と安心しきっていたら、最後の最後になって見覚えのあるシーンが出てきた。げげげっ、やっぱり観たことあるのか? そういえば他のシーンにも見覚えがあるような気がしてきた。いや気のせいだ。いや……。

1998年9月15日(火)

 多田夫妻とともに世田谷八幡宮のお祭りへ。お目当ては奉納学生相撲。といってもちょっと観れば気が済むと思っていたんだが、結構熱心に観てしまった。個人戦では体の小さい力士が巨漢力士を倒して優勝し、会場を湧かせた。
 相撲観戦後、神代神楽も観るが、身が入らず。買い食いに身が入る。続いて余市さんおすすめの店に入ってかき氷を食いつつ、マックな相談にのる。多田夫妻はTAを買うかダイヤルアップルータを買うか迷っていたので、iMacをすすめた。余市さんはイチゴミルクのかき氷を平らげた後、クリームソーダを頼んでいる。この男……。
 夕方から雨が降り始める。今度は台風5号が来さるするらしい。ずいぶん巨大な客だ。
 夜、『ロスト・ワールド』と『チャンス!』を観る。

1998年9月14日(月)

 深夜、大井が借りてきたビデオ『海のトリトン(オリジナル劇場版)』を観る。大人になってまた観てみると意外な発見があるものだが、白イルカのルカーはナイキのウェットスーツを着ていたということに気づく。

1998年9月13日(日)

 ノウサギやアキレスではなくて、葛生千夏さんとだんなさん、それにお犬様が来さる。
 私の体調は、昨夜に比べたら格段によくなったが、まだちょっとよくない。ったくなんで急に……と思っていたら、大井が秘密を激白。
 昨晩、藤野駅で大井が買ったジュースを一緒に飲んだんだが、そのジュースには蛾が入っていたのだという。それそれ、それだ! 気分が悪くなったのはちょうど蛾が体に入ってから一呼吸おいたくらいの時だったし、それに他にはそれらしい原因がまったく思い浮かばない。
 突然の不調がどうも腑に落ちなかったのだが、蛾が私の腑に落ちていたのだった。
 大井は「でも私は平気だった」と言うが、そーゆー問題じゃないだろう。中国に行った時だって、みんな腹を下したのに大井だけ平気だったんだから。
 新宿ヨドバシカメラでキャメディアC-840Lを購入。接続キット付で59800円。ACアダプタ(3600円)も併せて購入。ポイントは10%。C-320Lの安さに心が大きく揺らいだし、並みのお値段で買うことに抵抗を感じたが、迷いに迷った末、京都まで新幹線で行って烏丸通から七条通に出て鴨川を渡り、東大路通、五条坂を経て清水寺に到着後、拝観料を払って清水の舞台から飛び降りる気持ちで、C-840Lにした。
 マインズタワー地下のとんかつ屋さんでパッケージを開けてみる。今まで使ってたQuickTake 100 Plusは内蔵メモリに記録するタイプだったので、スマートメディアを手にするのはこれが初めて。思っていたより薄い。スマートメディアってスマートなメディアだなあ……と、素直な感想をもつ。

1998年9月12日(土)

 朝、バスで新百合丘に出て小田急多摩線に乗り、永山で京王相模原線に乗り換えて橋本へ。そして橋本からバスを乗り継いで月夜野方面に向かうつもりだったが、どえらい渋滞。
 バスの中継地点である三ヶ木に着いたのが11時だったので、月夜野方面に行くのを諦める。三ヶ木から徒歩で道志橋を渡って寸沢嵐石器時代遺跡を見物。道に迷いつつ石老山の登山口に到着する。その名のとおり、老いたデカイ石が次々と現れる道を登って、大蛇のような根をもつ老杉や石の家、ミツバチの巣がいい感じの顕鏡寺へ。この寺の山号は「石老山」で、山名と同じだが、「セキロウサン」というのはいかにも山号っぽい名なので、山号の方が先だろうと思う。
 顕鏡寺からさらに山を登って眺めの悪い融合見晴台で一服し、蚊に食われる。融合見晴台からは、それまでフラフラしていた大井が急に気合いを入れたため、あっと言う間に西側の眺めがよい石老山の山頂に到着。富士を眺めた後、弁当を広げる。いつものことだが、山で食う飯は実にうまい。
 ……が、ここまでは今日のフロントアクト。これからが本番だ。
 私と大井はずっと前から山で暮らしたいと思っていて、だからこそ今、世田谷の城山山麓に住んでいるのだが、そんなに近くなくそんなに遠くもない将来、もっと山らしい山に移り住みたいと思っている。その移住先の最有力候補が石老山の西側の藤野町。今日はさっさと山を下りて、藤野の里をうろついてみるつもりで来たのだ。
 とっとと飯を食ってさっさと山頂から篠原方面へ下り始めると、眼下には藤野の里。これがムチャクチャいい感じ。篠原の里に着くと、そこはまるで桃源郷。目の前には清流、そして鄙びた民家がある。げー、住みてー。
 清流の冷たい水で、『恋はデジャ・ブ』の冷水シャワーを浴びるビル・マーレーのような奇声を上げつつ顔を洗った後、清流沿いの道を少し下ると、もっといい感じの民家が現れる。広い敷地に蔵やミニログハウス、清流の水を取り込んだせせらぎと池、木製の遊具やテーブルなどが配され、工芸家っぽい男の人が庭で何かしている。
 ハー、ええなーええなええなー……と大井と2人でしばし見とれ、しかしあんまりじろじろ見るのも失礼だと思ってまた歩き出し、でもまたちょっと見とれてしまい、いかんいかんと思ったところで、その工芸家風の人が「お茶でも飲んでいきませんか」と誘ってくれたので、全然ためらわずに「あ、はい!」と答え、ないシッポをパタパタ振ってスタスタと橋を渡り庭に入る。
 庭の木製テーブルの上には縄文式土器の破片と石器っぽい石がゴロゴロと置いてある。訊くと、畑から出てくるのだという。庭のせせらぎにはゲンジボタルも舞うという。ハー、ええなええなええなええなええなー。
 工芸家風の男の人は、加藤さんという中学の先生だった。お茶をいただきながら、おまけにTシャツをいただきながら藤野のことをいろいろ聞いていると、加藤さんの口から三宅岳さんの名まえが出てきた。
 おお、その名まえ! 私と大井は三宅さんと面識はまったくないが、「コンフォルト」の多田さんによれば藤野在住の写真家さんだそうで、藤野にギャラリーをつくったとかつくろうとしてるとか。はっきりしたことはわからないんだが、とりあえず三宅さんの名刺のコピーをもらっておいた。もしギャラリーができてるならギャラリーの場所を訊くためにあとで電話してみようか、でももう日暮れまであんまり時間がないからまたにするか……などと思っていたところだったのだ。
 「さっきまでいたんですよ、また来るかもしれない、電話して呼んでみよう」と、加藤さんが席を立とうとする。我々が「え、あ……」などと言ってるうちに彼はさっさと母屋に行って電話し、ほどなくして三宅さん登場。4人でいろいろ話をして、庭のせせらぎで冷やしたビールまでご馳走になったりしてるうちに、なんだか「ワザオビジュツカン」というところに連れていってもらうことになり、加藤さんと別れて三宅さんの車に乗り込む。
 ワザオとは和竿、日本の釣竿のことであった。和竿美術館は、二百数十年の歴史をもつ伝統工芸品である和竿を展示している、個人経営のユニークなギャラリーだ。
 ここもまた清流に面していて、いい感じの場所。もう夕方になっていたので閉館していたんだが、わざわざ開けてもらって、館長さんの詳しい説明を受けながら和竿鑑賞。短いパーツを接いでいって長い竿にし、しまう時には太いパーツの中に細いパーツがすべて収納されるという携帯性に優れた構造は、カメラの三脚を思わせる。実際、三脚のあの構造は、ひょっとして和竿などからヒントを得たものだったりするのかもしれない。そうだとしたら、そんなふうに形を変えて道具作りの知恵が継承されていることが面白いと思う。
 漆を使った意匠も素晴らしい。私は特に、タナゴ釣り用のコンパクトな竿が気に入った。もし私が釣り好きだったら、この竿を是非手に入れてタナゴ釣りをしたいと思うだろう。
 特別待遇される筋合いはないのに、閉館後に解説付で無料鑑賞させてもらったのがちょっと心苦しかったため、和竿文化を守るためのカンパ箱に大井がそっと漱石札を投入したが、漱石は顔が蒼ざめている。どうした漱石、具合が悪いのか。余計なお世話だが、もっと運動とかした方がいいと思う。和竿鑑賞後、下の喫茶室兼ギャラリーに行ってお茶をご馳走になり、館長さん、三宅さんと4人でしばし話をする。
 また三宅さんの車に乗り込んで和竿美術館を後にする。ずっと歩くつもりで来たので、どこでも構わないから適当なところで捨ててくれと言ったら、牧野の温泉の前で捨ててくれた。ここなら藤野駅まで5キロほどのところだから歩いても大して時間はかからないし、バスも通っている。三宅さんと別れ、ぶらぶらと藤野駅に向かって里を歩く。
 しばらく歩いているうちにあたりはすっかり暗くなった。藤野駅まではもうそんなに距離はないが、当分来ないだろうと思っていたバスが来たので、大井が有料ヒッチハイクを試みる。すると自由乗降区間でもないのに停まってくれたので、運転手さんにお礼を言いつつバスに乗り込んで藤野駅へ。
 駅前の小さなビルの2階に不動産屋さんがあることに気づく。窓に一軒家の物件案内の貼り紙があるが、よく見えない。
 もう閉まっているが一応2階に上がり、電気が消えた暗いオフィスを覗いてみたら、「何か用か」と階段の下から不動産屋さんらしき人に声を掛けられた。「貼り紙が気になって……」と言うと、鍵を開けてオフィスに招き入れてくれ、しばし話をする。不動産屋さんもいい感じ。「これから物件を見ていくか」と誘われたが、夜だしこんなに早い展開を望んでいたわけではないので、「来月また来ると思う」と言い残し、名刺をいただいて不動産屋さんを出る。
 というわけで素晴らしい一日だったのだが、藤野駅のホームで電車を待ってると、急に腹が痛くなってきてひどく気分が悪くなった。近来稀に見る気分の悪さ。顔色はきっと漱石みたいになっている。どうしたんだろう。なんで急に……。納得いかず。

1998年9月11日(金)

 今日はなんとカメさんだ。カメがサッシの前を歩いてらっしゃる。いったいこいつはどっから来たんじゃ……と考えてるうちに、息つく間もなく今度はスズメバチ様来さる! 寝室の蛍光灯の周りを飛んでらっしゃ、るるるるー。でかいー。お引きとりくださいー。
 ここはどこや。とても東京03地域とは思えん。今度は何がやって来るんだ。ノウサギが来てカメを追い抜くのか? それともアキレスが来てカメを追い抜けないのか?
 夜、貢ぎ物(ケーキ)を持って大井とともに百合丘の中野家へ。うめえ鰻を食らい、NHK BS-1の番組「BSパソコンネット」の「アップル社 奇跡の復活」を見させていただく(世田谷のさる家では衛星放送はおろか、地上波すらまともに映らない)。たいそう楽しみにしてた番組なんだが……まあ、テレビで初めてジョブズを見ることができたのでよしとする。百合丘の中野家泊。

1998年9月8日(火)

 夜、久しぶりに本を買おうと決意し、蔦屋書店馬事公苑店へ。
 しかし結局本は買わず。その代わりにビデオ2本様来さる。7泊8日(素泊まり)のご予定。
 旅に出たビデオは『ミミック』と『恋はデジャ・ブ』。『ミミック』は顔が神戸岩だった。『恋はデジャ・ブ』は前に観たことがあるが、好きなのでまた借りた。システム終了するとRAM上のデータは揮発してしまうので、次の日に起動するとまた一からやり直さなければいけない、という映画だ。
 見終わったら朝になった。

1998年9月6日(日)

 コクワガタのオス1名様来さる。今日は玄関前ではなく、気づいた時にはすでに室内にいらっしゃった。大井が梨を切ってもてなすが、彼は無口だ。

1998年9月5日(土)

 大井とともに三浦へ行く。
 東京ではもう夏は終わった感じだが、三浦はまだ夏だ。今日は東京も暑かったんだろうが、三浦の暑さは違う。三浦の暑さには少し南国風味がある。
 小川に架かる橋の近くで踊るかかし(写真)に遭遇。足腰等がリアルなので、一瞬、ホントの人間かと思った。我々は鳥レベルか。大井が映画「マルサの女」で踊る山崎努のようだと言う。私もそう思った。
 三浦の夏。かかしのひとりレイヴ。
 かかしの下に流れる小川でメダカ(かカダヤシ)がお遊戯している。メダカの学校の上はシオカラトンボたちとギンヤンマの激しい空中戦。イトトンボもいたが参戦せず。用水路にはアメリカザリガニのガキたちがわらわらしていた。
 7月にも三浦に行ったんだが、その時、京急の野比駅がYRP野比という駅名に変わっていることに気付いた。しかしYRPとはいったいなんなのか、さっぱりわからない。今日、帰りの電車の中でこの問題に取り組んでみた。野比は横須賀市にあり、横須賀には海がある。だから、YRPのYは横須賀でRは臨海というのはどうだろう。そうすると、YRPとは横須賀臨海プルトニウムである。
 なるほどそういうことか。京急は、米軍が横須賀に核を持ち込んでいると強く疑っており、YRPを駅名に冠することで米軍に抗議しているのだ。
 ……全然違うと思う。

夏の畑で踊るかかし。右太股に気合いが入っている。
踊るかかしの背中 踊るかかしの横顔

1998年9月1日(火)

 今日までよく頑張った。だがもう我慢ならない。午後、新宿へパスポートを受け取りに行くついでに(ということにしておいてもらおう)、生iMacを見に行く。
 その前にまず、iMacを買えない腹いせにソフマップ新宿3号店でイメーションの540MB MOディスクを2枚買う。イメーションってのはiMac用のスーパーディスクドライブを発売する会社なので、腹いせには打ってつけだ。
 しかしイメーションってどんな会社なんだろと最近気になってたんだが、一昨年3Mから独立した「マルチナショナル企業」だとMOディスクのパッケージに書いてある。「マルチナショナル」かー。
 そしてなんと、「SOS! ホットライン」のフリーダイヤルの電話番号がパッケージに書いてある。「イメーションのディスクを使っててなんか困ったことがあったらなんでも相談に乗るから電話してくれや。電話代はわしが払っとくで」という太っ腹なサービスだ。たかが1枚679円のディスクでホットラインかー。
 ソフマップを出た後、心を鎮めるためにヨドバシカメラで単3アルカリ乾電池を購入。これで準備は整った。いよいよヨドバシカメラのOAマルチメディア館で生iMacとご対面。2台のデモ機の周りには人だかりができていて、みんな「欲しい」「欲しい」と言っている。
 生iMacは、思っていたよりテカテカしている。そして、「実物は思っていたより小さい」という話を聞いていたが、確かにおっしゃるとおりで実にコンパクトに見える。パフォーマ5000系とはまるで違う。これこそ15インチ時代のコンパクトマックだ。一体型というよりも、モニタだけのような印象。まあ、部屋に置いてみたら意外にデカイと思うんだろうけど。
 あれほど「実物はもっといいに違いない」とiMacを頭の中で美化しまくっていたというのに、実物を見て「なーんだ」とガッカリしなかった。くそう、欲しい。電源ケーブルだけでもいいからおくれ。
 お値段はもちろん値引きなしの178,000円だが、ポイントも付かない。ホントにまったくの値引きなしだ。
 T・ZONEにも行ってみる。こちらのiMacはヨドバシほどの人気ではないが、マックのフロアに来た客はみんな、iMacへ引き寄せられていく。iMacは誘蛾灯。ふとキャッシャーの横に目を遣ると、誘蛾灯の箱がぎょーさん積まれている。なんだ、在庫があるんやんけ、と思って近づいてみたが、やはりどれも売約済であった。くそう、覚えているがいい。いや、忘れてくれ。
 誘蛾灯のお隣には老兵スパルタカスがポツンと立っていて、ちょっとかわいそうな感じ。
 帰宅後、久しぶりにテレビのニュースを見る。なんだか北朝鮮が日本海と三陸沖にミサイルをぶっ放したと言っている。
 久しぶりにニュースを見るというのは連載を途中から読むようなもんで、この事件の場合は連載第1回を見逃して第2回を読んでる感じなので情況がよくわからないが、これって日本を攻撃したようなもんではないか。これが日本でなくてアメリカなら、即刻戦闘態勢だろう。
 アメリカでは2人の打者がミサイルみたいなもんをガンガンぶっ放してて、2人とも55発を着弾させた。ぶっ放すならそういうもんにしてほしいし、2人ともあと6発はぶっ放してほしいが、北朝鮮はもうぶっ放さんでよろしい。

1998年8月30日(日)

 外は雨。今日もiMacが欲しい。アイバースも。

1998年8月29日(土)

 館内整理後、高階良子さんのコミックスを立て続けに黙読(一部音読)してるうちに朝となる。
 ちょっとだけ寝た後、館内を清掃。午後、尾形管理人が荷物とともに来襲。荷物を運び入れるが、それにしても本が多い。本を運び終わる時は永久に訪れないのでは、と思われたが、なんとか訪れた。
 その後、成田潔さんと尾形さんの会社の同僚さんが来館。彼らは荷物の運び入れが終わってるのを見て手伝えなかったことを残念がったが、ふふふ、飛んで火に入る夏の男。残念がることはございませんですよ。まだまだいくらでもやることはある。
 彼らにしこたま手伝ってもらって、家具の大移動。さすがに5人でやるとはかどる。成田さんと尾形さんの会社の同僚さん、ありがとうごぜえました。彼らにはもう、「念」がまったく残っていない。
 女ま館近くのお好み焼き屋さんで引っ越し祝賀会(尾形さんのおごり。ごちそうさまでした)。鰻が食いたかったので蒲焼きを買い占めてパーッとやる(ただし2人前)。
 それにしても今日はiMacの発売日だ。成田さんと私は、体は日の出町にあるが、心は秋葉原へ行っている。2人ともiMacを買う予定はないが、実物を見たらついうっかり買ってしまいそうで、たいそう不安。
 iMacにSCSI機器が接続できさえすれば、誘惑と戦う必要などなく、すぐに買う。だが、iMacにSCSIポートはないし、あってはならない。SCSIポートがないことは素晴らしいことだ。が、今のさるすべりが使うMacには、どうしてもSCSIポートが必要。だから私は誘惑には負けない。
 もし負けたら大井のせいにする予定。今のところ大井はそれほどiMacを欲しがってないが、実物を一目見たらもう、ギャーギャー騒ぎだしてダダをこねるに決まっている。
 誘惑に勝ちたいという気持ちはそれほど強くなく、かと言って、負けると困る。一番いいのは、延長戦に持ち込み、なおかつ延長戦でも勝敗が決まらず、結局引き分け再試合になり、再試合では大敗するという展開。
 もうひとつ、勝敗のゆくえが気になるのは、阪神対イチローの熾烈な戦いだ。深夜、帰宅前に上町のステーキ屋さんに大井と行き、スポーツ新聞を見ながらその話をする。今シーズンは今のところイチローの打率が阪神の勝率を上回っているが、まだ勝負はわからない。
 その話をすると大井は「比べかたに問題がある」というが、もはやイチローの独走を止める敵はおらず、阪神の独走をとめる敵もいない状態なのだから、イチローと阪神が戦うしか道はないのだ。阪神ファンなら、そのことをわかっているはず。阪神のライバルは、もう何年も前からイチローだ。横浜なんて、阪神様の敵ではない。
 大井は「じゃあイチローが阪神に入ったらどうなるの?」と訊くが、そうなれば阪神がイチローに勝つだろう。どんなに優れた打者であっても阪神に移籍すると実力を発揮できなくなるが、どんなに優れた打者が入団しても阪神は変わらない。
 でも、あのおかたがiMacみたいに「ハロー(アゲイン)」と言いながら戻って来たら、阪神は変わる。ああバース。バース様。アイバースとなって戻って来ておくれ。ただし阪神はケチなので、契約金は178,000円。

1998年8月28日(金)

 今日もiMacが欲しい。
 朝、ファーストクラスBBS「ぱらねも」の「与論島」会議室で、私が始めた「妹よ」スレッドが「Re(100)」を達成。かなりバベルの塔っぽくなってきた。この先どれだけレスが積まれていくか楽しみだが、ある日突然、電子の神の怒りに触れて、すべてのメッセージが消失してしまったりするとなお楽しい。いずれその日が来てくれることを密かに願う。
 このスレッドをここまで「高く」することができたのは私のおかげではなくて近所に住む多田余市さんのおかげだが、最近はみんとり(岡村みどり)さんが健闘している。特に今朝アップされた「Re(98)」は力作だ。
 「Re(100)」をアップした後、ちょっと外出。三和銀行で家賃を振り込み、国民年金保険料を納めた後、世田谷区立郷土資料館へ。
 帰宅後「ぱらねも」にアクセスしてみると、みんとりさんが「Re(101)」をアップしていたが、これがまた素晴らしい。今日のみんとりさんは絶好調。
 夜、大量のコミックスを負ぶって大井とともに女ま館へ。鎖骨が曲がりそうなくらい重い。だが私は、大変な思いをして重い物を運ぶのが趣味なので、これは趣味の時間。
 明日、女ま館に尾形秀夫さんが引っ越して来て女ま館の管理人になる。女ま館到着後、館内を整理し、管理人さんの荷物の襲来に備える。

1998年8月24日(月)

 テレビのロケ。川縁でお犬様と異種ホミする。近くに大きな樹が1本あり、そこでアブラゼミが景気よく鳴いて収録の邪魔をする。ホーミーをやると競うように(実際競ってるんだろう)鳴き声が大きくなるので、なおさら始末に負えない。
 私がすぐにアブラゼミを見つけて「あそこにいる」と指差すので、ディレクターさんは「中野さんは目がいいんですか?」と訊くが、単なる視力の問題ではないことは『ヒトの鳴き声』に書いたとおり。昨日、沢で魚を見つけるのも、私が一番早かった。映画やテレビドラマでマックを見つけるのも得意。生き物を見つけるのは大得意だ。だって好きなんですもの。
 セミを手で捕まえたりボーッとしたりニュートンといちゃついたりしてるうちにロケが終わる。樹を見上げると、逆さに止まっているセミがいる。どういうつもりだ。頭に血が上るぞ。
 先月、大井と2人で南アルプス前衛の甘利山に夜行登山した時は、野生のニホンザルの群れに向かってホーミーすることができた。5月には小岩井農場で羊の群れに向かってホーミーした。だが、昨日の夜行登山では、天狗に会ったり山の神様とホミニケーションしたりはしたものの、動物様と異種ホミすることはできなかった。今日は、たった1匹の犬に向かってちょこっとホーミーしただけだが、異種ホミの機会を与えてもらえるのは、ありがたいことだ。

1998年8月23日(日)

 それにしても青梅線はすげえうるさいぞ。まるで地下鉄みたいで話すのに苦労する。
 青梅線奥多摩行き終電で午前0時半に奥多摩駅到着。駅前で液体を入れたり出したりした後、まずは愛宕山山頂を目指して出発。夜行登山会+山頂ホーミー練習会の幕が切って落とされた。しかし、切った幕が落ちきらないうちに、早くも参加者の25%がバテてしまう。
 ほどなくして愛宕山山頂に到着するが、まだ序の口なのにいきなり大休憩。加えていきなり道に迷う。しかも天気がよくない。だが、それもまたよし、だ。
 その後もたびたび休憩しながら、懐中電灯の光だけを頼りに鋸尾根を登る。鋸山山頂に着く前に私の懐中電灯の電池が切れてしまい、予備の電池を持って来なかったので、歩くのにとても難儀する(が、帰宅後リュックを開けたら、中から予備の電池が出てきた。忍ばせておいたことをすっかり忘れていたのだ。バッカでえ)。途中で何かに出会ったが、何だかよくわからなかったので多数決により天狗に出会ったことになった。
 たっぷり時間をかけて鋸山山頂に到着したものの、長居したくなるところではなかったので、ちょっと休憩しただけですぐに山頂直下の大ダワまで下り、そこで幽霊の話などしながら朝食。大ダワからは鞘口山を経て御前山に登るはずだったが、予定を変更して林道を下り、神戸岩(かのといわ)を目指す。私の脚はまだ登り足りないと言ってるが、御前山はそれほど登りたい山ではなかったし、またそのうち来ればいいから未練はない。
 予定を変更したのは大正解だった。舗装された道を歩くのは好きじゃないが、ずっと沢沿いでいい道だったし(景色もよく、沢の水もうまく、みんなで裸足になって沢に入って気持ちいい思いもさせていただいた)、何より神戸岩で面白い体験をすることができた。
 100m近い高さの2つの巨岩が沢を挟んで並び立つ神戸岩は、山を背にした観音開きの扉が少し開いてるって感じで、まさに神の戸。壮観だ。とりあえず、プチ滝壷に下りて神戸岩を見上げ、山の神にホーミーを奉納。しかし、水の音がうるさすぎるのですぐホーミーを止めてしまう。
 ところが、もう誰もホーミーをやってないのに、マルタ君が「ホーミーが聞こえる」と言い出す。実は私も、なんかホーミーが聞こえるなあ、変だなあと思ってたところだった。上の声も下の声も聞こえる。上の声はちゃんとメロディを奏で、下の声は読経っぽい。読経っぽく聞こえるといってもこれは明らかに読経ではないし、近くに寺はない。婦人部の皆さん(2名)には下の声があまり聞こえないようだったが、私やマルタ君にはよく聞こえる。
 いろいろ場所を変えて聴いてみたが、どうやら、よく聞こえる場所とそんなに聞こえない場所があり、また、ある時はよく聞こえ、ある時はあまり聞こえない(よく聞こえる場所にいても)ようだ。
 どうしてホーミーが聞こえるんだろうか。私もマルタ君も、最初は、徹夜登山で頭がバカになってるせいだろうと考えた。ついさっきやった自分たちのホーミーが頭に残っていて、それに滝の轟音が加わることで一種の幻聴を引き起こしている(滝の音の中からホーミーに合致する周波数の倍音を勝手に抜き出して、脳の中でホーミーにしている)と思ったのだ。
 ところが、我々がホーミーを止めてからいくら時間が経っても、やっぱり相変わらず誰かさんのホーミーが聞こえる。そこで、「我々モホ協のホーミーに山の神様が応えてくれたのであり、神様は我々を深く受け入れている。つまりこれは神の声だ」ということにしようとしたものの、過半数の賛同を得ることができず、自分の賛同も得られなかった。
 しかたがないので、神様を横に置いて考えてみることにした。
 モンゴルには、「ホーミーはある滝の音を真似たもの」という伝説がある。その伝説を知った時は「滝の音なんて、ホーミーと全然似てないやんけ」と思った。それよりも、「ホーミーは風の音を真似たもの」という話の方が納得できた。だが、滝の音が起源かどうかはともかく、今日我々が、滝壷で自然が奏でるホーミーを聞いたのは事実だ。
 神戸岩はとても硬い岩らしい。それが沢を挟んでそそり立っている。沢は大きくカーブを描き、岩をえぐって洞ができている。そのすぐ後に沢は滝(棚)になる。滝は落差は大してないが、水量がとても多く、水はすごい勢いで滝壷に潜る。すぐ近くには橋が架かり、トンネルもある。
 複雑な地形だ。岩に激しくぶつかりながらどっと落ちる水の音に岩と岩の間を抜ける風の音などが加わって、「音の形」も地形に劣らず複雑だ。ここならホーミーのような音が聞こえてきても(ホーミーのような音を抽出できても)不思議ではない。
 不思議ではないがしかし、下の声なんて、ホントに人の声に聞こえたのだ。
 3月に沖縄の屋慶名海峡に行った時のことを思い出した。そこには「東洋のローレライ伝説」がある。そこの地形も神戸岩のように複雑だった。
 水量が違えば、風が違えば、季節が違えば、当然音が違ってくる。水量が少ない時はきっとホーミーは聞こえないだろう。でも、今日よりもっと聞こえる日もあるかもしれない。またここに来てみたい。
 と、ここで思考を止めておけば、なかなかいい話だ。だが、せっかくモホ協によって「神戸岩ホーミーローレライ伝説」が誕生しようとしてるというのに、私は都合の悪いことに気付いてしまった。
 今日、「誰もホーミーをやってないのに確かにホーミーが聞こえる」ということをはっきり意識できたのは、マルタ君のおかげだ。私が「変だなあ。ホーミーが聞こえるなあ」と思ってるちょうどその時に、マルタ君が「ホーミーが聞こえる」と言ってくれたから、そのことに注目できたのだ。
 実を言うと、私は時々、今日のようなことを体験する。誰もホーミーをしてないのに、ホーミーが聞こえることがあるのだ。岩や沢、滝がある場所でなく、街の中でだ。で、ちょっと「あれ?」と思った後、すぐ「気のせいか」と思ってそのことを忘れる。今回だって、マルタ君が何も言わなかったら「気のせいか」と思ってすぐ忘れていただろう。
 つまり、今までも、そして今回も、単なる空耳で(今回は集団空耳)、結局やっぱり、脳が周囲の音を利用して勝手にホーミーをつくっていただけなのかもしれない。そしてそれは、それほど場所を選ぶものではなく、場所よりも、脳がホーミーをつくろうとしていることの方がポイントなのかもしれない。
 だとすると、ここを伝説の地とすることができない。場所が神戸岩(正確には神戸岩周辺)だったということはさほど重要ではない。神戸岩だからこそホーミーが聞こえたのではなく、そこにいたのがホーミーが好きな私たちだからこそホーミーが聞こえたのだ。
 と言いつつ、やはり神戸岩だからこそホーミー(のような音)が聞こえてくるのであり、神戸岩は確かにホーミーを奏でているのだ、場所が神戸岩だったということは重要なのだ、という気もする。やっぱりまた来てみることにしよう。今度は徹夜明けでなく、頭がしゃきっとしてる時に。
 さて、神戸岩を後にした我々は、バス通りを目指して引き続き川沿いの道を歩いた。途中、神社で一服……のはずが、婦人部の皆さんは神楽殿で就寝してしまった。我々殿方は、ヘロヘロの頭を使って日本の未来について自分本位に語り合った。
 婦人部の皆さんはほっとくと永眠しそうだったので、頃合いを見計らって起こす。ほどなくしてバス通りに出たが、バスが来るまでまだ時間があったので、檜原村郷土資料館で時間を潰す。ここで数馬の兜式入母屋造りの民家が、実は4階建てになってることを知り、少したまげる。4階建てって、そりゃビルやんけ。
 バスに乗って武蔵五日市の手打ちうどん屋さんに行き、昼食。ここで『アンネの日記』のアンネさんの家について、とてもいい話を洋行帰りのマルタ君から聞く。実際にアンネの家に行ってみると、かわいそうなアンネのその家はとても広く、狭い家に住む日本人としては釈然としない気持ちになって帰るのだという。
 普段、山登りやハイキングとは無縁の湯山玲子さんは奥多摩をたいそう気に入ってくれたようで、私は奥多摩がそれほど好きなわけではないんだが、とりあえず嬉しい。
 というわけで昼食後、武蔵五日市駅でとりあえず解散。だが、私と大井は湯山さんを連れて少女まんが館へ行く。リュックに忍ばせておいた「プチフラワー」を女ま館に寄贈。
 女ま館で蚊に刺されながら気持ちよく仮眠した後、近くの店でゆったりと夕食。そしてバスに乗って帰ろうとしたら終バスが出た後だったので、徒歩で武蔵五日市駅へ。電車に乗って立川駅で湯山さんと別れ、南武線、京王線、世田谷線と乗り継いで帰ろうと思ったものの世田谷線は終わっており、下高井戸駅からまた徒歩。長い一日(一日以上だが)であった。

1998年8月21日(金)

 あれ、クマゼミの鳴き声だよな。他のセミの声が賑やかなんでちょっと判別しづらいが、城山セミ・オーケストラの中にクマゼミの声が混ざってると思う……うん、間違いない。クマゼミだ。
 やや出遅れていたツクツクホウシもその後オーケストラに加わった。あとは29日15時にiMacが国内発売されれば、この夏、出るべきものが出揃う。
 iMacも城山に飛んできて鳴けばいいのに。そしたらトリモチで捕まえて飼う。いや、それよりもだ。夜、明かりを点けてると、サッシにアブラゼミが激突してくるんだが、iMacにもその手が使えないだろうか。ちなみに、夜、窓を開けておくと、エドガー・ポーツネルがやって来るらしい。

1998年8月18日(火)

 またもや田園調布駅行きのバスに乗り、用賀を通る。用賀と言えばさるすべりだが、用賀駅と言えばUFOだ。駅前にいつもUFOが停まっているのだ。あれはまだ使える。
 田園調布から目蒲線に乗り、終点の蒲田へ。蒲田駅前にある大田区役所で野暮用を済ませた後、これだけで帰るのは面白くないので、六郷用水や環八を歩いて大桜古墳に向かう。
 しかし、調子に乗ってしゃかしゃか歩いてるうちにすっかり目的地を通り過ぎ、田園調布に着いてしまいそうになる。こんなことでは困るので引き返したが、またもや一種の労災のため脚がすげえ痒く、そうこうするうちに夕暮れが迫ってきたし雨が降りそうな感じだったので今日のところは勘弁してやることにし、鵜の木駅から電車に乗る。んでまたもや田園調布から世田谷区民会館行きのバスに乗り、用賀を通る。相変わらずUFO停泊中。まだ使える。

1998年8月17日(月)

 よそではとっくにツクツクホウシが鳴き始めているのに、ここ城山山麓ではまだツクツクホウシの声を聞かない。なぜだろう。
 本日は3名様来さる。私と大井を入れて計5名で、室内は大変な瞬間人口密度。室外は大変な蝉口密度。内も外も生き物がいっぱい。

1998年8月16日(日)

 一昨々日に行った多摩川台公園の古墳展示室へまた行く。今日も展示室内には誰もいない。その後、亀甲山古墳の縁を通って丸子橋を渡り、川崎市市民ミュージアムへ。「少女まんがの世界展」と「出版資料に見る少女まんが展」を観る。我等が少女まんが館と同様に、「まんが」を平仮名で表記しているところが気に入った。
 展示を観て、やっぱり少女まんがはすげえなと改めて思う。このキメラ的な様式美。巧みで拙く、美しくくだらないこの世界の総体が生み出す、強烈なオリジナリティ。
 だが、あまり時間がなかったため、じっくり観ることができなかった。9月27日までやってるので、もう一度行くかも。
 さる家に帰ると、アルトキ夫妻が来さるしていた。お客さんが2人来ると、狭いさる家はもう満員。人が放つ熱とマックたちが放つ熱ですごく暑い。やっぱりエアコンを使った方がいいか……いや、使わんぞ。

1998年8月14日(金)

 野暮用で大田区役所へ行く。その途中、田園調布行きのバスが用賀神社前を過ぎたところで、バス通り沿いに作業着屋さんがあることに気づく。今日は休みのようだが、機会があったら行ってみることにしよう。
 用賀と言えば、さるすべり。なぜだか知らんが用賀の駅前通りはさるすべり並木なので、ちょっと好きだ。
 野暮用を済ますことができなかった後、御嶽神社へ蚊に刺されに行く。予定通り、しこたま刺されてすげえ痒い。これも一種の労災だ。

1998年8月13日(木)

 バスで等々力に行き、等々力渓谷を通って野毛大塚古墳へ。等々力渓谷に戻り、御岳山古墳から暑い暑い暑い古墳の道を歩いて多摩川園駅へ(これって仕事ですちなみに)。それから電車で「コンフォルト」編集部に行って涼を取り、続いて大井と一緒に雨の新宿へ行き、パスポート申請でひゃくうんじゅうにん待ち。お次はパワーユーとソフマップでマックな買い物におつき合い。そしてH.I.S.に行き、そのデカさに腰を抜かすとともに、H.I.S.がウイルスの一種ではなく会社だということを確認し一安心。電車で「コンフォルト」編集部に戻ってSCSIとイチャイチャした後、テレビ番組制作会社へ歩いて行き、背の高いおにいさんやワンダーフォーゲルなおねえさんと打ち合わせをしたらご褒美としてパンを2個もらった。いい会社だと思った。そんな一日。

1998年8月12日(水)

 元「アクロス」編集者2名様来さる。ここのセミの賑やかさにたまげている。実際、「蝉時雨」と言うよりも「蝉豪雨」と言った方がいいくらいだ。ただ、確かにここはセミが多いってことは間違いないものの、セミの声が賑やかなのには別の理由がある。
 今時、東京のオフィスでエアコンを使ってないところなんて珍しい。普通は、窓を閉め切ってエアコンをブイブイ言わせてるところにいるわけだから、当然、セミの声はあまり聞こえない。ところが、我が社はエアコンを使ってない。だから当然、窓を開けて風を通している。風を通すついでに、セミの声もガンガン通している。というわけだ。
 うるさいな部屋に染み入る蝉の声。
 だがもちろん、このうるささは心地よいうるささだ。

1998年8月8日(土)

 夜、サミットに行く途中で、すごくのろいアブラコウモリに出会う。全然キレのない飛びかただ。
 買い物をすませて帰る途中で、またもやすごくのろいアブラコウモリに出会う。同じコウモリのような気がする。
 コウモリがこんなにふらふらと飛んでるのを見るのは初めてだ。食事をすませた後で満腹だからこんな飛びかたをしてるのか。それとも体調がすぐれないのか。ご自愛下さい。

1998年8月7日(金)

 パスポートを新調するため大井と一緒に都庁に行くが、受付終了時間が迫ってたしすげえ混んでたので、ヤクルトを飲んで出直すことにする。
 夜、ビデオを借りに行った時、夕方とタオは似てるなと思ったが、ただそれだけ。

1998年8月5日(水)

 午前4時半。今朝もまた、まずヒグラシが静寂を破って鳴き出す。いつも思うが、カナカナに包まれたここは、ホントに山の中みたいだ。代々木八幡のマンションにいた時とは大違い。ここに引っ越してよかった。
 カナカナに釣られてカラスが、ミンミンゼミがニイニイゼミがアブラゼミが鳴き出し、あっと言う間に早朝のオーケストラの時間を迎える。ハトの鳴き声も聞こえる。
 5時頃にはもうカナカナが聞こえなくなる。続いて他のセミの皆さんや鳥の皆さんも静かになり、潮が引くように早朝のオーケストラが終了する。大井も静かになった。

1998年8月2日(日)

 パイオニアのCD-ROMドライバのアップデータ(PioneerCD-ROM222-229.patch)を、どんな修正が加えられたか知らないまま、昨日、一応ダウンロードしておいた。で、今朝、パッチをたち上げて「このパッチについて...」を読んでみたら、「Pioneer製 DVD Driveにおいて、4.2G以上のデータに対応に対応」と書いてあった。
 相当厳しく対応したようだ。
 今の私には関係ないので、アップデートは見送る。

1998年8月1日(土)

 大井が使っていた Apple Keyboard ][ が、自動書記をするようになった。同じ文字を連ねるのではなく、いろんな文字を連ねる。どちら様が何を伝えようとしてらっしゃるのか。キーボードをバラしてみたがわからなかった。勝手に文章を書いてくれるんだから、物書きにとってこれほど便利なキーボードはないはずなんだが、どういうわけか便利ではない。

1998年7月31日(金)

 夜、タバコを買いに行こうとして玄関のドアを開けたら、コクワガタのオスがいた。
 ここ、世田谷の城山山麓はスゴイ。玄関のドアを開けた途端に、ヤモリとかセミの抜け殻とか、いろんなものに会えるのだ。この前なんか、玄関のドアを開けたら超小型のロプノール湖があって、カエルがいてイトトンボが飛んでいた。
 サッシを開けたらクワガタのメスがお亡くなりになっていたこともあった。朝夕はヒグラシが鳴き、ニイニイゼミもミンミンゼミもアブラゼミも元気に鳴く。鳥もいろんなのがやってくる。ウグイスも鳴く。
 ずっと気になってるのが、フクロウ科問題。深夜に「ホー、ホー」っていうフクロウ科くさい鳴き声が聞こえることがあるのだ。ここに引っ越して来てから、毎年この声を聞いている(つまり、去年と今年)。いるのか、フクロウ科。ただ、最近、鳴き声を聞いていないのが気がかり。

1998年7月14日(火)

 久々に少女まんが館(女ま館)に行く。庭が荒れ果てている。庭というのは、ほんのちょっとほっとくだけで、すぐ荒れてしまう。でも、荒れた庭は好きだ。ヒグラシ時雨が聴こえてくる。すげえいい感じ。
 夜、女ま館で、世話人会議。出席者は7人。コイデヒロカズさん、中ザワヒデキさんが、大きい。いつも大きいが、今日もまた大きい。コイデさんはバイクまで大きい人だ。
 議論の結果は、私にとって重いものになったが、中ザワさんはこの会議が「面白かった」と言っていた。楽しんでいただけたので、よしとする。
 中ザワさんの車に便乗させてもらって帰宅。しまった、中ザワさんにニュートンを見せびらかすのを忘れた。

1971年1月31日(日)

 ぼくは、死ぬと、いう事が、大きらいだ。
 はんたいに、ふ死身も、大きらいだ。
 どうしたら、いいんだろう?
 やっぱり、今の ままで、いいのかな?

1970年12月27日(日)

 ぼくは、死が、こわい。
 何よりも、おそろしい。
 よく、夜、思い出す。
 もし、死んだら、どうしよう。 どうなるんだろう。
 いやな、感じが、する。

1970年12月14日(月)

 いもうとは、ギターの れんしゅうを して、いました。
 おかあさんは、それを 聞いて、いました。
 ぼくは、ふえの れんしゅうを して、いました。
 おねえさんは、あいかわらず、しずかでした。

1970年11月18日(水)

 ねまきに、きかえると、すぐ、ねどこに、入りました。
 田村(千里中央)書店で、ベーブ・ルースの本を買う時、おまけに、ついていた、紙下じきのこれまで、五年間の夏のお天気を見ていました。
 黒まるじるしに、こ年の夏のお天気と、くらべてみましょう。
と、書いて、ありました。
 いろいろ、グラフで、くわしく、書いて、ありました。
 それから、なんと、なくじっと、して、いました。
 少したつと、あくびをしました。
 だんだん、目が、たれて、きました。
 トイレに、行ってから、すぐ、ねました。

1970年11月15日(日)

 二年生の古田君と、安そ君と、山田君とで、中当てをしました。
 はじめは、ぼくと、山田君が、外野で、古田君と、安そ君が、内野でした。
 場所は、C二十二の前のしばふの上でやりました。
 安そ君が、古田君をまもるので、なかなか、当たりませんでした。
 だけど、ようやく、ぼくが、安そ君を当てました。
 いろいろ、当てたり、当てられたり、うけたり、にげたりしているうちに、ラインが、多く、なったので、ラインをしたら、外野に、出ることに、しました。
 だれでも、三十おおふく投げるまでには、当てられて、しまいます。
 また、つづけて、いるうちに、今度は、わらせることが、多く、なったので、わらわすのは、なしに、しました。
 でも、外野に、出なくても、いいことに、しました。
 安そ君が、よく、外野の時、ラインしました。
 中当てをやめたあと、古田君が、あそびに、きました。
 でも、昼食をたべるので、ことわりました。

1970年11月14日(土)

 夜に、四年の星野さんと、いもうとと、おねえさんとで、お店屋さんごっこをしました。
 ぼくは、とちゅうから、入って、動物屋をうけ持ちました。
 コリー犬の大きい方と、小さい方のぬいぐるみと、耳の長い犬のぬいぐるみと、ピンクのうさぎのまくらをうりました。
 全ぶ、うり切れると、カメラのライターと、まめ電球をうりました。
 いもうとが、にせざつを作るので、品物と、品物を取りかえて、あそびました。
 いもうとは、『中野書店』おねえさんは、『インテリアーフラワー店』ぼくと星野さんは、『交通校社』です。
 絵はがき、万国博の物、大阪じょうのメダル、本、カガミ、地球ぎ、くし、ブラシ、ふうとう、びんせん、目ざましどけい、下じき、マジックインキ、ボールペン、ぬいぐるみ、ふえなど、いろいろ、そろえて、やりました。
 もう、ごはんなので、ぼくと、いもうとが、やめました。
 でも、星野さんと、おねえさんは、まだ、やって、いました。

1970年11月13日(金)

 きょう、アイスクリームを食べました。
 外から、帰って、来ると、
 おねえさんが、
「純ちゃんアイスクリーム、食べないの。」
と、いいました。
 ぼくは、ドッチボールのことを日記帳に、書いてから、れいぞうこをあけて、見ました。
 フリーザーのところに、ふたつ、アイスクリームが、ひやしてありました。
 そのふたつのひとつを取りました。
 手で、さわると、すごく、つめたく感じました。
 食べて見ると、イチゴのあじが、しました。
 食べ終わると、何か、さっぱりした感じでした。



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