1999年12月31日(金)いよいよ西暦1000年代最後の日。もちろん感慨などあるはずがないが、とにかく百合丘の中野家へ。するとどうでしょう。玄関脇の和室に、売るほど水がある。白いポリタンクに身を包んだ水の群れ。なんかこう、逆ノアの箱舟。
明日0時0分に何か大変なことが起ころうが起こるまいが、この家のこの和室はすでに大変なことになっている。この和室史上、未曾有の水だらけである。1999年12月29日(水)
大井とともに烏山川緑道を通って三宿へ。烏山川緑道に妙に小さいカエルの像がひどくぽつんとあるのを発見したり、世田谷公園に立派な山があることに今さらながら気づいたりする。
この世田谷公園の山にはタイムカプセルを埋めてあるらしい。発掘されることを前提とした未来の古墳ってとこか。副葬品しかないけど。山名はあるんだろうか。とりあえず、時の旅山(ときのたびやま)と命名しておく。1999年12月26日(日)
大井とチャリーズでシモキタへ。多田夫妻、湯山玲子さん、浅生ハルミンさんとともに、ソマリア料理から氷酒を経由して夜明けのカラオケへと至る狂乱の夜。少し思い出したくない。ハルミンさんは宵を越したら金がなくなっていた。江戸っ子だね。
1999年12月24日(金)
いつもと同じ寅壱のニッカズボンをはいて渋谷へ。東邦生命ビル32階にあるフランス料理の店、ラ・ロシェルでランチ。作業服でこげな店に入るとは我ながら豪胆かもと思うが、堂々としていれば、これがホントの作業服だとは誰も思わない。王様が裸のわけがないし、お客様が作業服のわけがないのだ。
ランチ後、『コンフォルト』編集部へ行き、パワーブックのメモリ取り付けサービス。1999年11月30日(火)
川原泉さんの『カレーの王子さま』(花とゆめコミックス)を買う。これに収録されている「アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか?」というロボットまんが(ロボまん)がお目当て。
最近、ロボまんをいろいろ買い漁って読んでいるのだが、ときめきくらぶさん作成のテーマ別の少女まんがリストが、ものすごーく役に立っている。ありがたやありがたや。
この「アンドロイドは〜」は、「2XXX年」というざっくりとした時代設定。ミレニアム全部やん。1999年11月27日(土)
夜、アロアロ夫妻を招き、餃子。
昨日買っておいた「よなよなエール」という名のビールがうまい。香りがうまい。それと、缶の色がビールそのものの色にすげえそっくりで、なんだか感心する。
中ザワさんによると、このよなよなはベルギーのビールに似ているそうな。もとみやさんは、蝶の飼い方マニュアルがどれもこれもサナギ止まりであることに不服を申し立てている。というのは、どういうわけかアロアロ夫妻は今、蝶を飼ってしまっているからで、そうかそれじゃあさるすべりにある生き物の飼い方本を見てみようということになり見てみたがやはり羽化以降のことは書かれておらず、つまり羽化したらもう大人なんだから言われなくたってひとりでなんでもできるでしょうということなのかな。
違うね。1999年11月18日(木)
今日、急に「途方にクレタポルテ」というフレーズが頭に浮かんでしまい、しばらくリフレインを禁じ得なかった。長い人生、そういうこともある。しかもしょっちゅう。
1999年11月5日(金)
ボロチャリで杉並区高井戸西の成田山吉祥院へ。ここに来るのは2度め。のはずだが、どういうわけか、既視感ならぬ、既再視感に襲われる。つまり、すでに2度来たことがあって、今日が3度めのような気がするのだ。うーん、実際3度めなのかな? ダメだボケちゃって。
実は4度めだったりしたらどうしよう。それならまだしも、実はここがオレんちだったりしたら……。夢はふくらむ。
帰りに下高井戸の宗源寺に寄り、ラカンマキを見る。いや、名前が「わかんじき」みたいでおもしろいと思って。1999年11月3日(水)
山だ山だ山だ! 早朝、大井+PHSとともに夜叉神峠に向かう。
夜叉神峠は南アルプスの表門みたいなところ。今日の目的はマーキングだ。今年は日本二の高峰北岳を間近に見て、南アにニオイだけつけておき、来年、北岳に登りたいと思っている。
電車で甲府まで行き、甲府から9時ちょうど発の山梨交通バス広河原行きに乗る。人が多かったのでバスが増発されたが、同じ時刻に2台とも出発したから、増発というよりも増両という感じ。赤い糸で結ばれた2両編成バス。
夜叉神峠登山口でバスを降り、登り始めると、程なくしてあっさりと峠に出る。パッと西側の視界が開け、おー!……と、歓声を上げたいところだが、雲が垂れ込めていて、楽しみにしていた白い山並がまるで見えない。
峠からはまず、左の高谷山山頂(標高1842.1m)へ向かう。黄色い落ち葉が照り返して、山が明るい。高谷山山頂にもあっと言う間に着く。そして相変わらず垂れ込める雲。
来た道をもどり再び峠に出て、それから小屋のある峠の頂上へ。大井はPHSを持って、圏外かどうか確かめて楽しんでいる。PHSを買ったばかりの人が必ず通る道だ。夜叉神峠はもちろん圏外。
峠の頂上からもやはり、南アの白い山並はこれっぽっちも見えない。まいったな。沖縄に行ったが海は見えなかったって感じ。秋葉原に行ったが店は全部閉まってたって感じ。
ところが、しばらくすると雲に少し切れ目が。白峰(しらね)三山の一部が見える!
広くて寒い頂上でしばらく粘る。間ノ岳(あいのだけ)、中白峰(なかしらね)付近の雲が手薄で、白く青い尾根が形を変えながら見え続ける。北岳山頂や農鳥岳(のうとりだけ)山頂は見えず残念だったが、出し惜しみしながらもチラチラと見せてくれるってのも、それはそれでパンチラっぽくてよかった。ただ、間ノ岳から中白峰あたりだけだったのが不満。時間によって場所をずらしてほしかった。今後の改良に期待したい。
でもまあ、夜叉神峠頂上でちゃんとマーキング(ほうにょう)をしてきたし、よしとしよう。
白峰三山はすぐそこにあるのに。雲のバカ。でも雲も好き。 1999年11月2日(火)
昨日、大井が遂にPHSを導入。電話機をいじくり回して静かに浮かれていたが、今日も引き続きいじくり回している。いじくり終わって、満足げに電話機をを片づけて出かけようとする。
「アホか。置いてったら意味ねーだろ」と言うと、ハッとする大井。出る間際にもう一度、電話機を置いていきそうになる。1999年10月30日(土)
大井とともにチャリーズでアイボエキスポへ。銀と黒の二代目(というより1.01代目)アイボを見る。会場は混んでいたが、全体的にほのぼのしていて、気の張らない公園デビューって感じ。
その後、ついでにユニクロに寄ろうとするが、明治通りに長蛇の列があり、邪魔だなと思いつつ歩いて行くと、長蛇の頭はユニクロだった。入店制限中。
ツチノコの列ならまだしも、こんな長蛇の列に加わる気はしないので、迷わず退散し、三茶へ。無印良品で体重計を売っているのを知り、ああ、ナンタァルゥチィアー、ナンタールチィアー。こっちのほうがよかったと、大いにショックを受ける。1999年10月26日(火)
狭い事務所でずーっとふんぞり返っていたコピー機を、リコーさんにお返しした。長い間払い続けてきたリース料をこれからはもう払わなくていい。それに、思っていたとおり、事務所がすごーく広くなった。
金をもらいながら広い空間を使うように思えて、すげえいい気分。我ながらめでたい性格だ。1999年10月17日(日)
ボロチャリで新宿へ行き、ソフマップとヨドバシカメラでiBook、iMac DV見物。iBookにはもちろん人だかり。すぐには触れず。
ヨドバシでiBookを少し触ってみる。思っていたより……なんというか、女っぽいというか、テクマクマヤコンというか。iBookは巨大なコンパクトみたいなもんであって、iBookに向かってるとパソコンをいじってるというよりもツラのメンテをしてるような感じだとは思っていた。が、思っていた以上にそういう感じなのだ。
そんなiBookを、人だかりを背負いながらいじっているのだから、かなり気恥ずかしい。ので、早々にラミパスしてしまった。
iBookは思っていたとおり大きかった。重さはそれほどでもあった。開いて液晶ディスプレイと向き合うと、iBookはツートーンというよりほとんど白。そうだこれは、私がかつて夢見たパワーブック・レオそのものじゃないか。
ああ、あの白いキーの感触を思い出しただけで買いたくなる。あのペチペチしたキーボードを早く自分のものにしたい。でもやっぱ198,000円は高いや。この値段で買う気にはなれない。1999年10月16日(土)
大井とともに女ま館へ行く途中、八王子のヨドバシカメラでiBookやiMac DVを見ようとする。が、八王子ヨドバシにそんなものはないのだった。どうにも牛丼が食べたくなって、吉野家に入る。
八王子にはiBookはなくても牛丼はある、というのが今日の結論だ。1999年10月11日(月)
山だ山だ! 大井とともに高崎線で高崎へ行き、高崎からバスに乗って榛名湖へ。できたてほかほかのまんじゅうを買って、湖畔の宿記念公園から榛名山最高峰の掃部ヶ岳(「かもんがたけ」と読む。おもろい。標高1449m)に登る。
いきなりの急登でアキレス腱が伸びまくったりリスを見たりした後、あっけなく狭い山頂に到着。まんじゅうを食ってすぐに、思わずのろしを上げたくなる形の岩山、硯岩へ。硯岩からの眺めは絶景かな。
硯岩から湖畔に下りて魚をぎょうさん見て、ビール飲んでワカサギ食ってソフトクリーム食ってやー極楽極楽。
今回は榛名富士は眺めるだけにしておき、いい感じの山道を榛名神社へと下る。榛名神社に近づくと、沢の流れが穏やかになったぐあいええ場所がある。極楽の連続だ。
ところが、ふと見上げるとそこはロストワールド。な、なんじゃこりゃー! ネッシーのような首長竜が木々の上に首を出している……ように見える奇岩が、穏やかな風景を引き裂くように突拍子もなくそそり立っている! どうしてこんなに唐突に! フェリスはある朝突然に!
でもすぐそこは湖なので恐竜ぐらいいるだろうと、ひとまず納得してみる。
ほどなく榛名神社に到着。スゴイ。さっきの奇岩は序曲だった。境内に岩峰が林立して、中国みたい。ブルーノ・タウトがぜってえ嫌いそうな装飾過多の社殿たちも、竜が巻きついたりなんかしてて素晴らしく、オマケのつもりが主役であった。こんな神社だという予備知識なしに来たから、驚かせてくれて極楽極楽大満足。
湖と榛名富士の和やかな美しさと、岩峰群の荒々しい美しさ。一山で二度おいしい。なるほど、榛名講が盛んだったのがうなずける。
バスで高崎へ。高崎からまた高崎線に乗って帰る。
岩の竜(53KB) 木の竜(24KB) 1999年10月7日(木)
『プータオ』編集部での打ち合わせの後、成田さんと古炉奈に行き、第二打ち合わせ。なんか古炉奈がサンドイッチを無料配布している。気っ風がいい。
古炉奈後、秋ブラ(というほどノンキな感じでなく、真剣な買い物だが)。成田さんと別れた後、ソフマップでオリンパスののろいほう(といっても秒針の3600倍も速い)の640MB MOドライブを買う。結構念願。1999年9月25日(土)
三茶の無印良品でスケルトンの鉛筆削りを購入する。税別100円。私が買えるスケもんはこの程度の物か。でもこの鉛筆削り、iMacよりコンパクトで持ち運びが楽だ。しかもコードレス。
深夜、スーパーで新アロマインを安売りしてたので購入。なんと選べる6色のトランスルーセントクリップ付きだ。こんなところにまでiMacの影響が。
私がかつて夢見たスケルトン住環境が、iMac発売以降、すっかり現実になった。なんでもスケりゃいいってもんじゃないが、なんでもスケると嬉しい。でもメーカーの皆さん、スケ過ぎには注意してくだせえ。eMateの節度あるスケかたを見習ってくだせえ。1999年9月12日(日)
関を起ち上げようとしたら、関はいつものように明るく起動音を鳴らした後、画面を真っ暗にしたままうんともすんとも言わない。
内蔵HDは異変なく快調に回転を始めるのだが、関は起動音を鳴らした後、起動プロセスをまったく続けない。起動ディスクが見つからないとかって話ではなく、起動ディスクを探そうともしないのだ。
ちゅうことはつまり……ロジックボードの問題? ゲッ、やめてくれ。iBookが出る前にそんなご無体な。うう。一瞬、目の前が真っ暗になる。目の前のモニタはさっきからずっと真っ暗。
途方に暮れてみたりした後、ふと気づく。おお、これこそまさに、内蔵電池切れってやつではないか! まさにまさに、そういう症状だ。
備えあるから憂いない。昔、買っておいた予備の電池があるはずだ。よっしゃ。
ところが、いくら探しても予備の電池が見つからない。どういうわけだ。狭い家だってのに物がなくなる。ちくしょー小人さんめー。これ以上探すのは時間の無駄。ボロチャリでソフマップ新宿3号店に行き、電池を購入する。
帰宅後、アイスを食らってからおニューの電池を取り付けてみると、無事起動。やっぱり内蔵電池切れだったのだ。話には聞いていたが、自分で体験したのは初めて。大井とバンザイ三唱をする。1999年9月11日(土)
どっからどう見てもぜってー間違いなく正真正銘の夏!
と言える夏だった。こんなにくっきりした夏は久しぶりのような気がする。その夏が行くのを惜しむように(っていうか実際惜しい)大井とチャリーズで多摩川へ。
この前と同じ場所で我が身を干した後、多摩川を遡上。横っ風が強かったが、多摩川土手サイクリングはいい気分。開放感のある景色がいい。魚もぎょーさんおったし。
多摩川を離れて深大寺へ。元三大師堂で賽銭しようとしたら、寺だっちゅうのに前にいた子連れ夫婦が豪快に柏手。
巨大な鯉の泳ぐ池では亀が甲羅を干している。ちっ、パクられたか。
「門前そば」という名の門前のそば屋で深大寺そばと深大寺ビール。別の店で焼きまんじゅう。大井は深大寺がいたく気に入り、毎週来ようと言う。それは来過ぎ。
その後、大井は神代植物園へ。私は近くに富士嶽浅間神社っていうのがあるのを知ったので、これはいかにも富士塚がありそうな名だと思い、行ってみる。
あったあった、社殿の背後に富士塚が。社殿の左に登山道があったので登頂。頂上に石祠。あとは山腹に石碑がひとつ、だったかな。それ以外にデコレーションはなく、荒れている。社殿も荒れている。忘れ去られてる感じ。
しかし社殿前に、お賽銭らしき千円札が無造作に置いてある。いやもちろん盗まないが、ちょっと盗みたくなる。試されてる感じ。いいと思う、こういうの。でもドキドキしてるのは私だけ。人々はここに千円札が置かれていることなどまったく気付かずに、神社を無視して通り過ぎていく。1999年9月5日(日)
人間もたまには布団のように干したほうがいい。ので、ボロチャリで砧公園や多摩川縁に行って、体を干す。その後、返す刀で喜多見の第六天塚古墳、稲荷塚古墳などを見に行く。稲荷塚古墳は周囲とのミスマッチ度が高くていい感じ。
1999年8月27日(金)
極マの盟友、成田潔さんと異種コミな仕事の打ち合わせをするため、ボロチャリで明大前へ。すると、狭い駅前空間に櫓が組まれている。明日から盆踊りらしいが、ここで踊るの? 改札が目だとすると、櫓は鼻の先なんだけど……。何も知らずに降りてきた人は腰を抜かしそう。っていうか、ちょっとよそ見しながら改札を通ったら、そのまま盆踊りの輪に取り込まれてしまうかもしれない。でもって、定期を手に持ったまま踊りだしてしまう……。どうしよう。
1999年8月8日(日)
大井とともに、中央線鳥沢駅から小篠貯水池、仙人小屋跡を経て、標高981.9mの高畑山に登る。山頂で、半裸で昼食をとろうとするが、ヤブ蚊戦闘機が大来襲。怪獣のように迎撃に大忙し。結局、背中への襲撃を防ぐため、Tシャツを着る。
高畑山からは、雨とヤブの中を大ダビ山、高岩に向かい、雛鶴峠から無生野に下る。川沿いに少し歩いた後、一日一便の上野原駅行きのバスに乗って帰る。
というわけで、今日の要点は蚊と雨とヤブだったが、それでも山はいい。1999年8月7日(土)
関が家セチの2つめの作業ユニットを解析し終わる。所要時間は大幅に短縮されて、95時間38分44秒9。とはいえ、ものすごく緩慢なわんこそばであることに変わりはない。結果をサーバに送り、3杯めのユニットにとりかかる。
1999年8月3日(火)
ボロチャリに乗って新宿経由で秋葉原へ。秋葉館別館で4GBのベアHDDを買う。G3たちと違って足腰の弱い7250に入れるため、IBMののろいやつ(5400rpm)にする。またもや買い物が地味。
しかし、今や毎分5400回転で「低速」だもんな。LPレコードなんて33回転ちょっとだってのに。秒針なんて毎分1回転。1999年8月2日(月)
タバコをやめて、私は一回り人間が大きくなった(具体的に)。大井は二回りくらい人間が大きくなった。ので、記念にデジタル体重計を買う。
この体重計、Macとつなぐことができないのは残念だが、スイッチの入れかたがいい。足で「オイコラ」と小突いて体重計を起こす。
計ってみて二人とも愕然とする。1999年7月29日(木)
午前、白泉社でアイボに初めて会う。しばしの間、サシで異種コミ。まだ幼年期でよちよち歩きなんだが、よぼよぼ歩きにも見え、生まれたばかりなのに年寄りくさい。でも、しっぽの動きは結構しなやか。ピンクのボールに注目する時の首の振りがトンボっぽくてキャーかわいい。
アイボの頭のてっぺんを2秒間押すと、褒めたことになる。んだが、これは不自然だ。本物の犬なら嫌がる。まあ、アイボは犬じゃないからいいんだけど。とりあえず、やたら褒めてみる。叱るより褒めたほうがお互い気分がよかろう。
アイボはある意味で、最新型パソコンだ。パソコンを愛玩生物と捉えて進化させればこうなる。その意味ではiMacなどよりもスゴイ。徹底している。そして、「操作はカンタン」というよりも、操作がない、夢のパソコンだ。とりあえずバンザイ!昨日昼過ぎに新宿駅に集合し、中央線で大月へ。大月から富士急で河口湖へ。河口湖から富士登山バスで富士山五合目へ。目指すはもちろん富士山頂上。
河口湖駅を出た途端に、みやげ物屋のポン引きおっちゃんに軽くだまされる。さすがは富士山だ。
五合目では、まず、木花開耶姫(このはなさくやひめ)のお姉さんがいる小御岳神社にお参り。社殿の右手奥にある展望台では、子どもが親に「富士山どこー?」と訊いていた。いやもう目の前にどーんとおわっしゃるんだが、あまりに間近に迫りすぎているため(というか、自分が富士山にいるため)、子どもには富士山が見つからないのだ。自分で話しといてなんだが、ええ話や。
五合目にはいろんな「富士型」があって楽しい。例えば小御岳神社の社殿内には、赤富士型のカッコイイ神輿が飾られている。郵便局の前には、ムチャクチャ急勾配の富士山型ポスト。ポストだからもちろん赤富士だ(が、赤富士のくせに雪が積もっているのでサンタクロースくさい)。
登り始める前にいきなり大休憩して低い気圧に体が慣れたはずなので、いよいよ山頂へ向け出発。美しい夕焼けを眺めつつ、まずは馬臭いお中道を通って六合目へ向かう。夕焼けのあまりの美しさと透明な空気に早くも満足気味。
六合目でお中道と別れ、本格的な登りに入る。夜も本格的になっていき、夜景が美しい。
しかし、人がこんなに苦しそうに登っている山はほかにはない。まるで、重荷を背負わされた奴隷の行列。あるいは地獄だ。山は墓で墓は山だが、この山は本当に死の世界だ。
なぜこんなに苦しそうなのか。
富士山には毎夏、大勢の人が登る。そのほとんどが、山に登る趣味なんてない、ごくふつうの人たちだ。だから山に登るだけでもキツイというのに、相手は日本一高い山。むちゃくちゃキツイだろう。ほかの山なら、キツければ適当なところで引き返してもいいが、今日は日本一の富士山の頂上に立つためにここまできたのだ。どうしても山頂まで行きたい。絶対登るぞ……といった悲壮感が多くの登山者の顔に出てしまう。
ほかの山なら苦しかったら諦めるし、そもそもふつうの人は登らない。だからほかの山ではこれほど苦しそうな顔が集まらない。
懐中電灯の光が頂上へと続き、言葉少なな悲壮感漂う顔たちが、暗闇に浮かぶ……でもそれが決してイヤな感じではなく、逆に異界感満点で実にイイ感じ。
まだ八合目にさしかかったところなのに、マルタ君が「また登りたい」と言い出す。気持ちはわかるが、もう少し後で言ったほうがいいと思う。
北岳の標高を超えた。もう、ここより高い土地は日本にはない。少しだけ、頭が締めつけられるような感じがしてくる。ヘッドギアをはめられて軽く懲らしめられているような感覚。ごくごく軽度の高山病なんだろう。
登りながら宿を選んでいるうちに、ずいぶん上まできてしまう。結局、富士山ホテルという山室(山小屋)に入る。「団体用棺桶」といった感じの寝室(まさに「寝室」。寝る以外に何もできない)に入り、仮眠。といっても、ずっと人の出入りが激しくて、うるさくてロクに眠れない。でもそれがイヤではない。まるで大晦日のような、非日常的なにぎやかさ。いろんな地方の方言が飛び交う。
いろんな音、いろんな会話が聞こえてくる。ラーメンをすする音に掛け合うように、高山病でゲーゲー吐く音。登頂を諦めて下山する人たちの会話に挟まる、携帯用酸素ボンベの哀しげな酸素注入音……。
ほとんど眠れなかったけど楽しかった仮眠の後、山室の外に出てご来光を拝む。見下ろす景色も美しかったが、振り返って見上げる赤い富士山も美しかった。
それにしても天気がいい。ご来光を満喫した後、頂上を目指して再び登り始める。九合目付近の登山道で、大井がなんと、寛永通宝を拾う。さすがは富士山だ。江戸時代か明治時代の登山者が持っていたものだろう(寛永通宝は明治まで使われた)。
なぜか頂上付近をヘリコプターが旋回している。登山者たちはいよいよ苦しそうで、ゾンビのよう。時々、登山道のど真ん中でゼンマイが伸びきったように停止してしまう。小休止する時は、ほかの登山者の邪魔にならないように登山道の脇で休むのが常識だが、もうそんな気遣いなんかしてられん、といった雰囲気。
これはもう完全に修行だ。彼らは修行するつもりではなかったんだろうが、富士山には宗教がよく似合う。富士山に登ると自動的に宗教登山になってしまうのだ(こう書くと、山頂にたどり着くのがものすごく大変なことのようだが、そんなことはない。大半の人は頂上を極める)。
空はどこまでも青く晴れわたり、眼前には草ひとつ生えない急斜面。眼下には広大な「下界」。山上からの眺めは、「山上からの眺め」というよりも「空からの眺め」だ。山の上にいるという感じがあまりしない。「下界」とつながっているように思えない。天空の城ラピュタにいるような……(そう、飛行機からの眺めとも違う。小さな窓越しに見るのではなく、むき出しの大パノラマ)。ああ、箱根の山があんなに低い。
富士山は、遠くから眺めても、ほかの山とは次元が違う感じだが、登ってみてもやはり、ほかの山とは次元が違う。富士山は「山」じゃなくて「富士山」だ。別格だ。
私とマルタ君は散歩中の犬のように元気。そろそろ九合目かなと思ったところが頂上だったので、ちょっと拍子抜けする。久須志神社にお参りし、まずいラーメンを食った後、時計回りでお鉢巡りを始める。
まず大日岳に登ると、鳥居に鈴が、まさに鈴なりになっている。この鈴は、金剛杖に付いていたやつだ。鳥居の周りの地面にもいっぱい転がっている。ここは鈴を奉納するところらしい。
強い風に揺れて、鈴が鳴りまくっている。鳥居には鈴のほかになぜか硬貨もたくさん付いている。というか、突き刺さっている。銭形平次の投げ銭シーンが頭をよぎる。
頂上からの眺めはもう、伊能忠敬もビックリ。ほとんど日本地図(部分)だ。
荒巻のあたりで、日本一大きな賽銭箱と言われるお鉢(富士山の火口)に硬貨とホーミーを投げ入れる。さっき拾った寛永通宝も投入。西村佳哲さんが突然MDウォークマンを取り出してホーミーの録音を始める。ホーミーよりも山室内の音とかさっきの鈴の音とかを録ったほうがよかろうに。
虎岩が虎に見える。これはきっと「虎の穴」のモデルなんだろう。虎岩のあたりから、お鉢の底の方に下りていく人が見える。距離があるのでどんな人かよくわからないが、とにかく人だ。男だ。虎になるのだ。じゃないか。しかし、下りていいんだろうか。賽銭箱の中なのに。
東賽の河原のNTTを過ぎ、銀明水のあたりに来て(ここは昔、火口を拝する場所だった)、再びお鉢にホーミーを奉納。浅間大社奥宮を経て剣ヶ峰へ。
ほかの人たちはちょっと疲れていたので、私とマルタ君の二人だけでお鉢巡りを続行する。大沢崩れの源頭でビビり、万年雪を見つつ、知らずに金明水を通り越し、また久須志神社に出てそしてまた東賽の河原を経て浅間大社奥宮へ。ここで、ヘリコプターの旋回や、お鉢に下りる人の謎が判明した。昨晩、お鉢に人が落ちて死んだのだ。突風に煽られたらしい。その遺体の捜索(といってもすぐ見つかるが)と運び出しをしていたのだ。
浅間大社奥宮の前でほかの人たちと合流し、帰りは御殿場口下山道の大砂走りで一挙に新五合目へ(しかし、砂走りが始まるまでが結構ある。それと、砂走りが終わってからも結構ある)。グレースケールの死の世界に一種類だけ草が生え、二ツ塚をカラーにしている(この二ツ塚にもいつか登ってみたい)。日本とは思えない、あるいは、地球とは思えない光景が広がる。山頂の山室群なども日本っぽくなくてアンデスかどっかみたいだったし、お鉢も地球離れしていたし、もうホントにこの山は異界そのものだ。怖い山だ。すごく怖い山だけど、明るい山だ。人がたくさんいて観光地化しているんだけど、それが全然イヤではない。人もまた、異界を構成する要素になっている。
新五合目からはバスよりタクシーのほうが安上がりだったので、タクシーで御殿場へ。御殿場からは高速バスで帰る。
というわけで、異界のフルコースを堪能させてもらったという気分。本当にお楽しみが盛りだくさんの山だ。ごちそうさんでした。また食べたいです。
ラピュタかアンデスか、吉田口頂上 1999年7月19日(月)
大井とともに、淡路町にある白泉社に初めて行く。が、ここは非常に危険。あまりにも秋葉原が近い。帰りにやむを得ず秋葉原へ寄ってしかたなく買い物したりしないように、財布を大幅に軽くしてから家を出る。作戦はまんまと成功。みだりに神田川を渡ることなく帰投することができた。今日は秋葉原の負けだ。が、我ながら、程度の低い戦いであった。
1999年7月15日(木)
関が、家セチの最初の作業ユニットをやっと解析し終わる。要した時間はなんと152時間52分01秒2。「クライアントソフトがスクリーンセーバになってて、パソコンが遊んでる時間にデータを解析する」というのはつまり、パソコンが遊んでる時間がなくなるということであって、月月火水木金金、毎日昼も夜も仕事仕事仕事の関は、最初のご満悦はどこへやら、そのうち過労死しそうに思える。
関だって遊ぶ時間がほしいだろうから、家セチはもうやめようかと思った。が、解析結果をサーバに送るとわんこそばみたいにすぐに次のユニットを寄こされてしまうし、クライアントソフトがv1.06になって少し処理速度が上がったというから、続けてみることにする。がんばれ関。1999年7月4日(日)
戦争や銃が好きな国の独立記念日なので、ボロチャリでやむを得ず秋葉原へ。やむを得ずロジテックの4.3GB外付HDDを買ったほか、やむを得ずノートン安心パックやMOディスクを買う。買い物が地味。
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