わらわら図鑑第四回[1998年9月29日]
正直先生presents 現代わらわら図鑑
the world of warawara
わらわらとは……数え切れないほど多くの物・人が狭い空間の中で蠢いている様

 正直先生は一人歩きが好きである。ま、人のペースに合わせるのが苦手なのであるが。一人歩きをしていると疲れることもあるので、ゆっくり休みたくなる。しかし、例えば渋谷とかで一人で喫茶店にはいると、なんか変な顔されて広い席ががんがん空いているにも関わらず、「こちらへどうぞー」とか無理矢理狭苦しい席とかに案内される。窮屈である。で、次にアベックとかが入ってくると、どうどうと広い席を占領しだす。どうなってんだ世の中は。アベックじゃなきゃあ喫茶店入ってくつろいじゃいけないのか。ま、そういうわけで公園とかが先生の一番のお気に入りなんだけど。  
 
旅に行けば、ペンションはみいんなアベックだし(うるさいグループも多いけど)、アベックで行くと映画は安くなる所があるし、「人間はアベックが普通です」って無理強いされているみたいだ。「人間は一人ぽっちだ」っていうところから二人でいる意味がでてくるのになあ。なんだかなあ。
  ここまで書いてなんだか愚痴のような気がしてきた。ま、愚痴だ。でもたとえ彼氏がいたって彼女がいたって(先生にも妻がいたりする)、一人で何かをしたいときはあるのである。一人でいるための場所や空間ってどこへいってしまったのか? そんなに人はアベックでいなければいけないのか? 

1 エジプトの結婚アベックわらわら


エジプトの雑誌で見つけたアベックわらわらである。なんかすごくぎらぎらしている。にぎにぎしていて正直先生は好きだ。エジプトはイスラム圏だから普段は男女は同席していてはいけない。だけど、ちゃっかり隠れて交際はしていて女性は金持ちの男を選んで結婚したりする。つまり、すごい意気込みのアベックわらわら風景なのだ。彼らは生まれてからずっと信じている神様がいるのに、あからさまに「アベックしたい!」という感じを剥きだしにしているのはいさぎよいなあ。これに対してある団体とかの集団結婚式はどうも「神さまのお決めになった相手だから、幸せになるに違いない」とかいう、意志のはっきりしない感じがとても気持ち悪い。なんかね、アベックの相手を選ぶのに、「自分の直感」以外の他の計算(見てクレがいいとか、金持ちだとか、人が決めたからとか)を入れるのはつまらんことだと思うのですよ。

2 木のアベックわらわら


これは多分、農作地で豊作を願うための人形だと思う。つまり稲の男(おしべ)と女(めしべ)、そして作男と作女がいて、米ができる。そんなイメージの木の人形わらわらである。この人形たちは怖い。それは「作男」「作女」という農村地に古来からある暗い共同体構造とか、照明がスポット照明であるせいとかいろんな理由があると思うけど、この人形が怖いのは、やっぱり「気持ち」が感じられないからだと思う。農村の豊作祭りから切り離されてしまうと、この木のアベックたちは、ただ義理で一緒に並べられているにすぎない。ただのでくの棒にすぎない。行楽地で夜、ごはん食べにいくと、こういうでくの棒みたいなアベックがいっぱいいますよ。無理に二人でフルコース料理とか食べて。渋谷でがばがば酒飲んでいる合コンみたいなアベックもこんな感じだよな。表面にぎやかだけど、すごく醒めている感じ。義理とか、でくの棒になるために、アベックでいる必要はあるんだろうか? この木たちをみながら正直先生はそんな事を思ったのだった。
  ま、そんなわけなんだけど、最近僕の周りには「恋愛とかあんまり関係ない。自分がやりたいことをしたい」というような奴等がわらわらしていて、ちょっといい感じである。つまるところ人間は一人で何かやっていくのだ。一人であるってわかったところから他人を考えることができる。そういうところからアベックを考えてもいいんじゃないかなー。そんな事を秋の長雨の午後の一時、正直先生は考えていたりするのである。

Copyright 1999 Koide, Hirokazu
コイデヒロカズ