屋上毎日第二三回[1997年12月26日]
デジタル・ヒーリング・エッセイ
屋上毎日
第二三回 クリスマスの日、渋谷の屋上でお茶するの巻

 
 世間がクリスマスだなんだと騒いでいた1997年12月25日、正直先生はぼーとしていた。早い話が、仕事疲れだ。最近バイクにも乗れず、仕事場(しかも今三つもあるのよ仕事場が)と家との往復で、なんだか一人でふらと散歩する暇もない。
  こういう時、普通の人はどうするのかな。お酒を飲んだりするのかな? スポーツしたりするのかな? カラオケもしたりするのかな? でも正直先生はお酒は飲めないし、スポーツもしない(家人にはバイクに乗るのはスポーツだ、と言い張っているけど)、歌は下手なので、結局じっくりお茶を飲んだりするくらいが息抜きになっている。
  私がお茶というとほうじ茶ずずずずず、みたいな感じがあるかもしれないが、どっこいミルクティー一本やりである。いろんな紅茶専門店から取り寄せた茶葉とか、近所のインド料理屋のすすめで買った茶葉とかとにかくいろんな紅茶をためしてます。でもみんなミルクティー。朝起きるとお湯をわかしてミルクティー。家に帰るとお茶をわかしてミルクティー。ま、そんなわけで最近ミルクティーずけなわけだ。
  で話は12月25日に戻ります。この日先生はぼーとしながら渋谷にいた。なんで疲れているのに渋谷にいたのかというと、渋谷の某百貨店(特に名を秘す)の屋上に「ガーデンカフェ」ができたと人に聞いたからである。屋上に公園(正確には庭園だけどね)にお茶、これは正直先生が好きなもの三つがそろっているではないか! スリーカードだ! なんて関係ないこと思いながら某百貨店の屋上に登ったのだ。
  で、そこは確かに屋上にできた庭園風のカフェでした。


床がデッキ風でテーブルが点在し、そこかしこに木がおいてある。茶色と緑を基調とした色合いでなるほど英国調。わーい!と久しぶりの屋上によろこんで外の席を選んだ先生はピタパンなんか頼んで、


ちょっとおしゃれなクリスマス気分にひたったのでした。で、待望のミルクティーだ。  でもねえ。なんだか変なんだ。ミルクティーがおいしくない。正確にいうとミルクティーを飲んでもほっとしない。ま、すごく寒くて鬼のような顔していたせいもあるんだけど。


 でも屋上も庭園もお茶もそろってるのに、全然息抜きできないんだ。空は雲ひとつない青なのに、なんだかすごく縮こまっている感じがする。なんだかねー、ここはすごく「人工」って感じなんだよな、きっと。「屋上」も「庭園」も「ミルクティー」も人工には違いないんだが、そこは「人工の果て」みたいな感じでもっと味わいがあるのだ。でもこの渋谷の街につくられた屋上で庭園でミルクティーは、言ってみれば缶ミルクティーみたいな感じなのだ。ちょっと偽物みたいな感じなのだ。街中で息抜きしようとする正直先生をあざ笑うように空調設備はゴーと音をたてているし、


やっぱり、屋上も庭園もお茶も町中で一緒になったんではダメだと思った。お茶は家でゆっくり飲むからこそ息抜きになるんだし、庭園は庭園だけで味わうから息が抜けるのだ。屋上だってそうだ。屋上は屋上らしく遊園地であるとか、何もないとかしないとダメなのだ。屋上や庭園やお茶の「自然」ってそういうことなのだ。そういう自然と接するから僕は息抜きできていたんだな。じゃ僕の「自然」ってなんだろう? 先生はさいきん仕事に入れ込むあまり自分に正直になっていないんじゃないか? 偽物の自然で我慢してなかったか? このカフェみたいな偽物の自然に。カフェの片隅に置いてあったスチロール箱の鮭をねらう(?)熊の絵、


を見ながらそんなことを思った。ありがとう、熊さん。
 やっぱ正直先生はまず自分の心に正直じゃなきゃいけなよな、と突き抜けるような渋谷の空をみながら思ったのでした。メリークリスマス。そして明けましておめでとう。今年も正直に生きよう、ってね。

Copyright 1999 Koide, Hirokazu
コイデヒロカズ