屋上毎日第十九回[1997年8月26日]
デジタル・ヒーリング・エッセイ
屋上毎日
第十九回 正直先生と浅間山とバイクと屋上

 
 正直先生は浅間山が好きである。いや、正確にいうと「好きになった」かもしれないなあ。信州に何度もいくうち、そのなだらかな線がじわじわと好きになりはじめたのだった。  
  しかし浅間山には現在の正直先生(遅いバイク好き)をすごくひきつけるもうひとつの場所がある。それは「浅間モーターサイクル記念館」(正式名称はちょっと別だったかもなあ)の存在だ。モータースポーツ好きとかよほどのバイク好きでなければ知らないと思うけど、日本で初めてのモーターサイクルレースはなんと浅間山の麓で1954年におこなわれたのだ。そう、日本のバイクレース発祥の地はなんと浅間山なのですよ。
  今でこそ日本のバイクって世界一の評価を受けているけど、当時はイギリスとか外国のバイクが断然性能がよくて「外国のバイクにおいつけ!」が合い言葉だった。だからこのレースはバイク会社がバイクの性能を向上させる目標となるレースだった。浅間山の麓だから当然舗装なんかされていなくて、全コースダート。当時でいうスクランブル、今でいうとモトクロスという感じでしかも何時間も走るからすごく過酷なレースだったらしい。  なんかバイクの性能向上に熱意を注いでいた人達が浅間山につどっていたなんてちょっとロマンではありませんか。正直先生は単純だから、その熱い思いを感じたいなあなんて夏休みを利用して浅間山の麓は「浅間記念館」に向かったのだった。
  鬼押し出しを脇にみながら記念館の中に入って上を見上げた。そしたらいきなり「スタート」の横断幕が!


 レースを実現させた人はこの横断幕を見て感無量だっただろうなあ、なんて正直先生まで感無量になった。  館内には当時のレースに参加したバイクや、外国の貴重なバイク、国産の古いバイク、


そしてハーレーのコピーながらすごく人気があった「陸王」のプロトタイプ、


などが展示してあって、もう先生の心は踊るようだった。みんなが素人で、一生懸命早いバイクを作ろうと思えばなんとかなったおおらかな時代。バイクに思いをかけた人がこんなにいるんだ、なんてちょっとセンチな気分になった。
しかし浅間山のレースも3回開催されただけで、その役目を終える。そののちサーキットが出来てバイクも四輪のレースも本格化していくけど、浅間山の麓でのびのびと、だけど懸命にバイクを走らせていた人々はなんと幸せだったんだろう。ちょっとうらやましくなってそのゴール横断幕に別れをつげた。


  うーん正直先生はじわじわと感動している……。
 
しかしこの後正直先生はなんと屋上に出会ったのだ!  元気なんだけどなんだかしんみりした気分になって鬼押し出しの方に上がっていったら、昔のなんだかいい雰囲気の作りの浅間火山博物館があった。


 実はこれは現在は使われていなくて、中には誰も入れない。つまり廃虚だ。
  でももしかしたら……。なんていう予感がしたので脇のほうの階段を登ってみると、なんとふるぼけた屋上があった!


  しかも見渡すかぎり浅間山の麓にひろがる高原だ! 正直先生は写真を写すときに自分の左手まで写してしまったぐらい興奮した。浅間山に向かって右手には鬼押し出しがずらーっと見えるし、左手にはずうっと軽井沢に続く高原だ。背後にはずうっと向こうに山が見える。そして頭の上には青い夏の空。なんていい屋上なんだ。
  その良さに拍車をかけているのがこの古びて棄てられた浅間火山博物館の建物だ。一番上には浅間山を正面に見ることができる円形の展望レストランがあって、いかにも観光地のレトロ雰囲気を漂わせせる建物なのだ。どうしてこう人の温もりが染み着いているようなモノとか建物とかは僕の心をなごませるのかなあ。ちょっとその円形展望台を見て「ガメラ対ギャオス」を思い出した(ギャオスが死ぬ場所ですね)先生は、思わずうれしくなってピースをしながら写真を撮った。


  しかし浅間山の麓は時間が止まったようなところだ。浅間山と空さえ見ていれば時代なんか関係なくなってしまうのかもしれない。なんて思いながら下の方にある新装なった浅間火山博物館に入ったら、火山のテーマパークみたいでいやだった。だけどマグマのジオラマみたいのもあってそれは好きだった。  


 新しいものはいいかもしれない。だけれど新しいピカピカさにはどこか気恥ずかしさを感じてしまう。浅間山にはまだピカピカの新しさは恥ずかしいなあ、と思った。

Copyright 1999 Koide, Hirokazu
コイデヒロカズ