屋上毎日第四回[1996年5月31日]
デジタル・ヒーリング・エッセイ
屋上毎日
第四回 雑草と屋上ー東大付属病院の屋上でー


 大分暑くなってきました。朝、仕事場の屋上に行くと、もう「むわ」という感じで暑い。屋根が鉄板だからしょうがないよなあ。真夏はここで目玉焼きのようになっているんじゃないかと、ちょっと恐れをなしている正直先生なのであった。ふう、それにしても暑い。  
  今回はまた東大の安田講堂には登れず。結局、登れないのかなあ。まあいいけど。私、東大は結構好きなのだ。いや、学校が持ってるイメージとかそういうことはあまり好きではないが、キャンパスの雰囲気がすごくいいのだ。私の仕事場は東大のすぐ近くにあるので、毎日行き帰り、東大本郷キャンパスの前を通っているし。とにかく木はいっぱいあるし、人はまばらだし、校舎に入ろうものなら暗い廊下に人っこ一人いなかったりする。静かだ。怖いほど静かだ。  こういうところで何年か過ごしたら、いろんな事をじいっと深く考えるようになるのはわかるような気がする。私なんか早稲田大学ですから、とにかくぎちぎちに建物がたってたし、そこに人はいっぱいいるわ、食い物屋はいっぱいあるわで、結局落ち着かない性格になってしまった。東大出身に研究者ですぐれた人が多くて、早大出身にバカな編集者が多いのはキャンパスのせいかなあ、と思ったりもするのだ。  
  で、今回私はその静かな東大でもさらに静かと思われる「東大付属病院」の屋上、


に登りたいと思ったのだ。それは何故か。

  まず「病院の屋上」というのが、なにかいろんなものがうごめいているような気がするのだ。映画「病院へ行こう」で患者の真田広之と医者の薬師丸ひろこが屋上でエッチしちゃうようなシーンがあったが、そういう話は本当にあるらしい。患者さんと看護婦さんの間で。しかし、私も入院したことがあるが、浮ついた話はなんにもない。せいぜい洗濯物を干しにいったら付添婦のおばさんに「ここは重症の患者さんの洗濯物干す場所だから、あんたはあっち」とか怒られた経験があるだけだ。あと、ひ一人屋上にいるとき、下を眺めていたら、同じ病室の人の家族の人が涙を流しながら出ていくのを見て、あ、長くないんだな、と気が付いたこともある。「病院の屋上」は「自由」の場所ではなくて、何かをひきずっている場所のような気がするのだ。  
  そしてもうひとつ。東大の医学部といえば、戦争時代から人体研究のためにいろんな解剖や実験が行われてきたはずである。旧帝国大学の話だと遠藤周作の「海と毒薬」という小説がある。それは九州の大学の話で、戦時中人を生きたまんま解剖した、というような筋で、研究のためとはいえそういうことをするのは人として許されるのか、というテーマであった。身体の研究と人間。血と肉と人間。ま、命ってことだけど、そういことをなんとなく深く考えてしまうような感じが大学病院にはあるんだなあ。  
  今回もテーマが重くなってきた。でも足どりは軽く行くぞ。まず東大病院の隣にある研究棟に入る。


  ここは医学部の先生方や学生さんが研究にいそしんでいるところだ。すごく古くさい重い作りの建物で、雰囲気は暗い。洋館ぽさを残していて雰囲気はあるのだが。その中の暗い階段を登り、屋上に出た。するとそこはなんと「赤い屋上」だったのだ。


 多分建物が老朽化したので屋上にも防水加工をしたのだろうけど、なんとなく不気味である。しかも、屋上のキワまで木が押し寄せているので、夜ここに来たらけっこう怖いよなあ、と思ったのだった。  
  でいよいよ本当に行きたいところ、付属病院の屋上に赴く。新しい綺麗になった外来棟(写真1のところ)の屋上にはかぎがかかっており、のぼれなかった。しかし考えてみると、みんな病気で暗いおももちで歩いているのに、坊主頭の私がビッグミニを持ちながら、病院内をうろうろしているのはいかにも怪しい。自分でも怪しいと思っているのだから、きっと怪しい視線でみられていただろうなあ。  
  そこは断念して、隣の入院病室に繋がる棟の屋上に挑んだ。

 
  例によって人気のない階段をてくてくあがっていくと、ありましたありました、屋上が! いや、正確にいうと屋上の「路地裏」があったのだ!

 
  うーん、トタンと気でつくったバラックのような建物。そしてその前部分にはじゃりまでひいてある。脇には洗い場まである。


  実際にはここは薬品を扱うところらしいのだが、それにしても雰囲気がいい。僕は、これが病院の屋上だということを忘れそうになった。僕小さいころ毎日見ていた昭和30年代の路地裏の風景にそっくりだったのだ。  実は僕は家で一番好きなのが、ぼろぼろのバラックのような小さな家なのである。海の家を小さくしたようなやつだ。洋書で畑の荷置き小屋とか海の防人小屋とかのぼろい家ばっかりを集めた本があって、僕はいっつも妻さんとそれを眺めてはいいねーいいねーとほざいている。今はマンションだけど、一軒家に住むとしたら絶対バラックのような家にしたいと思っている。その理想形がここにあるのだ。


  それが東大付属病院の屋上にあるなんて!  しかもバラックだけではなくてその空間が何故かいい雰囲気を持っている。すごくのどかな、心をくつろがせる雰囲気。じいっとそのバラックの点在する屋上を眺めて、その理由を考えていたらその訳がわかった。 「雑草」だ。   ここには至るところの屋上に雑草が生えている。今いる所の隅っこ。そしてあるところでは全面に。


  今の東京は、道にも、建物にも「雑草」が生えているところなんかあまりないのだ。でもここは至る所に「雑草」がいるのだ。東大も地面に近いところはどんどん立て替えが進んで、だんだん雑草が少なくなっている。しかし、人があまりこない屋上で「雑草」は頑張っていたのだ。  
  なんだかいいものを見たなあ。下では生死の境を生きている人がいる病院の屋上には「バラック」と「雑草」がある。「雑草」も生えなくなった(生かしておかなくなった)東京の地面で、本当にみんな気持ちよく暮らしているのかなあ、なんて思いながら、僕は砂利の上にねそべって空を眺めていたのだった。

Copyright 1999 Koide, Hirokazu
コイデヒロカズ