屋上毎日第二回[1996年3月18日]
デジタル・ヒーリング・エッセイ
屋上毎日
空・自由・魂
第二回 高島平の屋上


  屋上に注意を払うようになってはや4か月が過ぎました。電車に乗っていてもビルの屋上を眺め、歩いていても屋上に注意を払い、気になる屋上に登っては付近の屋上を眺める。なんだか坂本九さんの「上を向いて歩こう」なんて口ずさむ気分ですねえ。関係ないけど「上を向いて歩こう」ってよく歌詞を読むと切なくていい曲です。はい。  
 
まあ、きまってそういう屋上に登ると、この屋上毎日のテーマでもある「自由」とか「解放」とかそういう気持ちになるのですけど、実はそれと正反対のことも考えるのです。それは屋上の淵から下を眺めた時。屋上の上から下を見ると、ものすごく怖い! 当たり前だけど怖い。自由(空)の反対に絶望(地面)は確実に存在するのですね。こんな写真を見て下さい。


  こんな光景を見てあなたは飛び降りれますか? でも屋上から飛び降りて自殺する、という人は確実に存在するじゃないですか。そこで僕は考え込んでしまう。屋上から飛び降りる、っていう気持ちはどんなもんなんだろう、と。屋上研究者にとってこの問題は避けて通れないなあ、と思うのです。そこで今回は飛び降り自殺の名所である(であった)高島平団地の屋上にいってみることにしました。今回は少し悲しい気持ちになるかもしれないけど、許せ。                ********  
  さて高島平団地に到着しました。知らない人のために説明しますと、ここは東京の板橋区にある団地で、マンモス団地の先駆けとして1972年にできました。とにかくどこを向いても団地! というくらいに沢山の団地が並んでいます。僕が通っていた高校にはここに住んでいる友達も多かったので、よく遊びにきたもんです。関係ないけど、きまって東武レストランの「カレーライス目玉焼きのせ」を食べました。そんな高島平の友達と演劇をやったこともあります。演劇の練習場所がなんと屋上だったのですね。夕焼けとかみながら、みんなでセリフの読み合わせとかやっていました。高島平の屋上にはそういう個人的な思い出も実はあるんですね。  そんな思い出を胸にまず高島平3丁目の団地に登ってみました。あ、言い忘れましたけど高島平の住所は大きくわけて2丁目と3丁目があり、団地の建物一つがまるごと番地になっている! なんだか凄い。団地って一つの町内なのですね。  
  さて大きな建物の3丁目の団地のエレベータに乗ると……、あれ「R」の字が消されている。もしかして、と思って14階まで上がってみたら……屋上にあがる階段に鉄格子がはめられている! しかも南京錠!

   
  やはりそうだったんですか。高島平に来る前にニフテイサーブのデータベースで、高島平&飛び降り自殺っていう項目で新聞の記事を検索してみたんですね。そしたら1987年以降は飛び降り自殺記事は姿を消していんです。これはつまりもう屋上に上がれないってことなんじゃないかな、と薄々感じてはいたんです。実際に目にしてみると、なんだか心をふさがれたような気分で悲しくなりました。  
  となりの中規模の団地にもいってみました。そこにはこんな看板が掲げてありました。


 高島平に住んでいる人たちにとっては「自殺の名所」なんて言われることはさぞかしいやな気分だと思います。それがこういう風に危険な場所すべてをふさぐ、ということになってしまったんでしょうね。その気持ちはわからないでもない。高島平の人もなんとか自分の住んでいる場所をよくしたい、と思ってこうせざるを得なかったのだと思います。だから高島平の人に罪はない。  
 でも鉄格子がはめられてしまった団地のその光景はあまりに悲しい。だって屋上ではない団地の廊下の通り道や、非常階段の踊り場まで全部鉄の格子がはめられているんです。


そんな光景を見て、僕は弾圧され、抑圧された人々の姿を思い出しました。                ********  
  しかしここで自殺した人たちはどんな気持ちだったのでしょう? 想像するに、彼らは死ねるなら屋上でもなんでもよかったんじゃないかと思うのです。それが確実に死ねる方法であれば。でも僕は彼らが屋上に登ったとき、幾ばくかでも「生きたい」と思う気持ちが芽生えたと信じたい。だって屋上の上には世間のしがらみも、うるさい奴等もないもないのですから。どんなにつらいことがあったって、生きる場所はこの世のどこかにあるのです。死んだ人に対して僕はあまりに無力ですが、何かをといかけてみたい、この屋上で。そんな事を高島平団地の間を歩きながら、僕は考えていました。しかし、この高島平団地には、もう屋上はないのです。                ********  
  でもどこか屋上の自由だけはここにもあるはずだ、と思って僕は高校時代に演劇の練習をした、あの屋上へ行ってみることにしました。でもそこはやはり、鉄格子がはめられ、南京錠がかかっていました。まったく悲しい気分になりました。

 
  ふと、14階の回廊に出てみると、そこには屋上が下から少しだけ見えました。


これが今回紹介できる屋上の全てです。でも僕はここに来てよかったと思います。屋上にはいいことばかりあるのではない。人の奥底に潜む、救いようのない悲しみもたたえているということに気ずいたからです。高島平の屋上さん、ありがとう。君が元気に復活する日を待っているよ。

Copyright 1999 Koide, Hirokazu
コイデヒロカズ