わらわら図鑑第六回[1998年11月30日]
正直先生presents 現代わらわら図鑑
the world of warawara
わらわらとは……数え切れないほど多くの物・人が狭い空間の中で蠢いている様

 人間には男性と女性というものがいて、まあお互いに好きになったり嫌いになったり、ケンカしたり、いろいろしているわけでそれはもう人生の一大事である。時には男性と男性とか女性と女性とかそういう関係もあるのだが、ま、そういうのもいいんではないかと正直先生は思う。
  正直先生は男性である。なんて改めて断言することでもないんだが、こういう風に断言したあとで「じゃあ、男性ってなんなんだ?」という疑問が沸いてきた。普段はあまり男性、女性と性別で区別するほうではない。だから性別とか関係なく過酷な仕事も課したりするし、ダメな人はダメなので叱ったりもする。いや、男女同権とかそういうことではなく、同じ人間なんだからそれでいいのだと思っていたのだ。男も女も同じだ。
  だが、しかし。
  最近、なんだかそういうことでもないような気がしてきたのだ。男性と女性ってやっぱりすこし性質が違う。というか得意とするものが違う。すごく感覚的な問題で申し訳ないけど。「そんな事あたり前だ。女性は子供を生めて、男性は生めないんだから」とかいう人もいるだろう。それはそうだな。でも違いの全てをそれが原因だとしてしまっていいもんかな。正直先生はそんな事を考えながらてくてく散歩に出たのだ。男性ってなんなのかいな、と思いつつ。

機械わらわら


  これは先日行った筑波サーキットのバイク草レースのピット裏である。ここにはもうこんなにしょーもないバイク好きがいるんかい! というほどにわらわらとバイク、そしてバイク好きな男たち。つなぎを脱ぎ捨てたアホがそのへんにごろごろと転がっている。でも、不思議に女性はいないんだな。もちろんライダーの彼女とか、観客には女の子はいるのだが、マシンをいじっている女性やレースに出ている女性はみかけなかった。あ、いじっている女性は一人いたな。先生がバイクを買ったショップのメカに一人。 で、この光景は言うまでもなくこれは男性的なわらわらではないかと思う。機械が好きとかそういう事ではない。他のことを捨てて、一つの事に夢中になっている姿がすごく男性な感じがする。
 
こう書くと、すごく男性的素養は素敵なみたいな感じがするかもしれないが、そういうわけでもない。他の事も考えなくちゃいけない時に一つの事だけに夢中になっていて全体が見れない、って事もある。ギャンブルに夢中になったり、コンピュータに夢中になったり、細かいところに入り込んで限度を知らないようなところがあると思うなあ、男性には。だからこの光景は一見心地よい男を感じさせる光景なんだけど、なんとなく広く社会をみない男の集まりって感じもわるわけだ。あ、オレもそうだ。あははははは。

みんみんわらわら


  これは両国で行われた「バトラーツ両国」という格闘技の試合の合間に行われた、ま、一種のアトラクションである。リング上に登っているのはフジテレビで土曜日の朝にやっている「花やしき」っていう番組で天気予報をしている「みんみんガールズ」(でよかったんだっけ?)の女の子たち数人である。しかしここで注目すべきは実はみんみんガールズではなくてみんみんガールズを見つめている観客の方なのだ。写真では真っ黒になっているかもしれないが、とにかく八千人近くの男に女性が囲まれているわけです。
  しかし彼女らは全然うけていないのだ、実は。 会場に集まった男どもが一番盛り上がったのはロードウオーリアーズというアメリカの丸太ん棒不良二人組が、アレクサンダー大塚っていうスキンヘッドの人気レスラーをわずか4分少々でやっつけちゃった時でもう場内は歓声と「はあー」という溜息とも興奮ともつかない声で充満した。正直先生も興奮しまくった。
  つまりここに集っている男性は女性には興奮しないで、男性に興奮しているのだ。ううむ。他の格闘技もとにかく今盛り上がっていて、とにかく男性は強い男性を見たがっている感じがする。もちろん格闘技だからっていうのもあるだろう。でも自分が強くないから強い男性が見たい、という心理もあるような気がするのだ。女性よりも強い男性をみたがる男性。なんか時代から「男性」というものが後退しているような気がするなあ。
  今回はまだ頭の中で整理しきれていない問題にぶちあたってしまったので、あまり歯切れがよくない。大体先生は男性の事しか語れていない。女性の皆さんは「男性」「女性」ということをどう考えているのだろうか。なにか意見があったら正直先生に送って欲しい。

Copyright 1999 Koide, Hirokazu
コイデヒロカズ