自分の山のつくりかた

 これは、インテリア雑誌『コンフォルト』1998年夏号(No.33)初出の連載第1回です(写真3点とそのキャプションも載せましたが、それは割愛)。第2回以降は『コンフォルト』でお楽しみください。



連載第1回
山が足りない。ならば造ろう。

 関西出身の人はよく「東京は山がなくて寂しい」と言う。
 たしかに、都心を出てかなり郊外まで行っても、なかなかまともな山にお目にかかることができない。一方、関西の都市のまわりは山だらけ。大阪も、京都も奈良も神戸も、街の中心からちょっと外れると、もう山が迫ってくる。東京と関西の地形図を見比べてみるといい。東京がいかに山に恵まれていないか、よくわかるだろう。
 これはとても異常なことだ。古代からずっと、日本の政治、経済、文化の中心として栄えた土地は、すべて山に囲まれていた。奈良も大阪も近江も京都も、そして鎌倉もだ。鎌倉の山はほかと比べるとショボイものの、鎌倉アルプスをはじめとした山々が、低いなりに立派な山であることは、鎌倉に行けばはっきりと実感できる。
 都会には山が付きもの。なのに東京だけが、山のない都なのだ。

 ないはずの山がたくさんあった

 ところが、よく調べてみれば、東京には、ないはずの山が、ものすごくたくさんひしめいていたことに気づく。
 その代表例が、「品川富士」「千駄ヶ谷富士」といった、ミニチュアの富士山である富士塚。ミニチュアとはいえ人の背丈より遥かに高く、ちゃんと登山のマネゴトができるだけの高さとボリュームがあるのが普通だ。これが、一説によると江戸市中に792もあったという。この数字を信用していいかどうかわからないが、とにかくたくさん造られたことだけは間違いない。
 富士塚の他にもいろんな山が造られた。金持ちは自分の庭にどんどん築山を造り、それらは例えば「箱根山」「大仏山」などと呼ばれた。
 現実に土を盛って山を造っただけではない。例えば「愛宕山」「飛鳥山」のように、「山」とは呼べないようなちょっとした高みを「山」と呼んでしまう。上野のお山は「東叡山」と呼ばれるが、これは「東の比叡山」ということ。あんな低い丘を強引に比叡山に見立ててしまったのだ。「右京山」のように、斜面の手前から見れば山に見えるからってことで、単なる斜面を「山」と呼んでしまう例も多い。
 こうして、かつての東京の住人たちは、土を盛って強引に山にしたり、山と呼べないようなシロモノを強引に山と呼んだりして、東京を山だらけにしたのだ。だから、東京に山はないはずなのに、実はコンパクトサイズの山がそこかしこにあるのだ。
 さらには銭湯の壁にも富士山をそびえ立たせたりと、もう本当に執拗なまでに、山のない都に山を造りまくった。かつての東京には、こうした「人造山文化」とでもいうべき、豊かな「見立て」の文化が栄えていたのだ。

 滅びゆく東京の山々

 ところが今はどうだろう。かつての東京の人々がせっかく造った山々は、あるものは再開発で失われ、あるものは残ってはいてもビルの谷間に埋もれてしまった。その気になって東京を歩けば、まだ残っている富士塚や築山や山っぽい高みを目にすることはできるが、忙しくビルの谷間を往来する人々の視界には入ってこない。
 もし目に止まったとしても、それを山に見立てようとは思わない。かつて「権現山」と呼ばれていたところは、今は「豊島ケ岡」と呼ぶ。「城山」と呼ばれていたところはもはや城山でなく、「豪徳寺二丁目」だ。城山通りや城山小学校という名は残ったものの、この付近をもう「城山」とは呼ばない。
 銭湯も減って、湯気の向こうの富士山を眺めることも難しくなった。こうして、東京からどんどん山が減ってしまった。
 それだけではない。かつての東京の空気は今よりずっと綺麗だったし、高い建物が少なかった。だから、ちょっと高台に登れば、富士山や大山、箱根の山、御岳山、筑波山、狩野山、鋸山などの遠くの山々を簡単に眺めることができたという。つまり、富士山や大山やなんやの遠く離れた山々は、見た目としては今よりもずっと東京の近くにあったと言えるだろう。
 特に富士山だ。富士山は東京都心からすごく遠いところにあるが、標高がずば抜けて高いから、近くにあるかのように目立つ。昔の東京の人々にとっては、富士は自分たちの山だったはずだ。
 ところが、富士見台や富士見坂、富士見町からも富士山が拝めなくなり、富士を失ってしまった東京には、本当に山がなくなってしまった。
 山の代わりに、ビルはたくさんそびえ立ち、その高さを誇っている。ある意味で、ビルは「人造山」だとも言えるだろう。実際私は、新宿副都心のビル群を、奇異な岩々がそそり立つ妙義山に見立てて「新宿妙義」と勝手に呼んで愛でている。だが、そうやってビルを山に見立てようとする人はほとんどいない。ビルを山に見立てるには、かなり無理があるからだ。山としては特異な妙義山に見立てるのがやっとだろう。だから、ビルは山の代役を務めているとは言いがたい。

 住みづらさの裏にあるもの

 たしかに山が減った。しかしそれがどうしたというのか。別にいいではないか。  だが、私は今の東京を、住みづらい都市だと感じる。東京は日本一の大都会だから、何をするにしても便利なところだ。そういう意味ではもちろん住みやすい。しかしその一方で、どうにも住みづらい。
 なぜ住みづらいのかというと、それは東京の空気や水がマズイからだったり、人や車が多すぎるからだったり、緑が少なすぎるくせにスギ花粉だけは多すぎるからだったりするだろう。そういう意味で、東京を住みづらいところだと感じる人はたくさんいるだろう。
 だが、東京に住む人々は、ひとつ重要なことを忘れていないだろうか。もしかして、今の東京が住みづらいと感じるのは、山を失ってしまったからではないか。いくら緑を増やしても、山がなければダメなんじゃないか。
 かつての東京に「人造山文化」が栄えたのは、東京に山がなかったからだが、山がないからといって、どうして造らなければいけなかったのか。それは、山がないと住みづらいからだ、と考えてみたらどうだろう。
 江戸の人々は「山のない都」に住む不快さを、無意識に感じていた。遠くに見える山々だけでは満足できなかった。自分たちの、自分の山が手もとに欲しいのに、江戸には山がない。だったら山を造ってしまえ! そうして独自の「人造山文化」が栄えたのだとしたら……。
 だとしたら、今の東京は、とてもよくない情況にある。せっかくかつての住人たちが築いてきた山々を滅ぼし、山とは言いづらいものを山に見立てる心を失い、遠くに見えていた山も汚れた空気でかき消してしまった。

 人造山文化よ、再び!

 東京から山が減ってしまった。東京には山が足りない。今、東京の住民は、深刻な「山不足」に苦しんでいる。そのことが、東京をとても住みづらい都市にしている。なのに、そのことを自覚していない。
 私はそう思う。そしてこれは、東京だけの問題ではないと思う。あらゆる都市が東京化してしまった今、これは東京だけでなく、日本のすべての都市に共通する問題だと言っていい。
 いや、日本だけの問題でもない。例えば、カトマンズは今、ひどい大気汚染に悩まされていて、かつてよく見えたヒマラヤの山々が、冬のよっぽど幸運な日以外には、見えなくなってしまったという。
 カトマンズの人たちも、きっと山不足に悩んでいる。山を失ってしまった都市は皆同じなのだ。
 ではどうすればいいのか。
 答えは簡単だ。かつて、江戸の人々は「山がないなら山を造ればいい」と考えて、どんどん造った。私たちも、山がないなら、山が足りないなら、山を造ればいいだけだ。自分たちの街に自分たちの山を、自分の家に自分の山を造ればいいのだ。
 ところで私は、肝心なことを書いていない。山がないと、どうして住みづらいのか。山がないと、本当に住みづらいのか。そのことを考えたら、私の頭は、ヒトが直立二足歩行を始めたところにまで遡ってしまったのだが、とりあえず、その話は置いておこう。
 本当に自分の山が必要なのかどうかを頭でごちゃごちゃ考えてみる前に、実際に山のある生活、山があった時の生活を知り、そして自分の山を造ってみよう。「山」というエクステリア、「山」というインテリアを造ってみよう。そうすれば、住まうところに山を持つことが、いかに住みやすいことか、そして、住まうところに山がないことがいかに住みづらいことか、自ずと実感できるはずだ。
 というわけで、「山造り」の世界へ、いざ!



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